しかし、これには、権力を代表する指環もなければ、法と虚喝の大神《ヴォータン》も、愛のジーグフリードも、また、英雄の霊を戦場からはこぶ戦女《ワルキューレ》もいない。事実この物語には、われわれの知らぬ、世界に活躍するものは一つとしてないのである。
けれども、篇中のどこかには、奇怪な矮人《わいじん》があらわれる、鳥がいる。鍛冶《かじ》の音楽、呪い、運命、憎悪、魔法の兜《かぶと》がある。時とすると、|森の囁き《ワルド・ワーベン》が奏でられ、また、「怖れを知らぬジーグフリード」の導調《ライトモチフ》につれて、うつくしい勇士の面影が、緑の野におどる陽のようにあらわされる。
しかしそれは、篇中に微妙な影を投げ、いとも不思議な変容となって描かれているのだ。手操りあう運命の糸――それは、いつの世にも同じきものである。ときに応じ、情勢につれて、自由に変形され展開されるとはいえ、絶えず、底をゆく無音の旋律はおなじである。
読者諸君も、つぎの概説中にある黒字の個所に御留意くだされば、けっして、古典の香気に酔いしれてしまうことはないであろう。かえって、物語を綴り縫う謎の一つ一つに、一脈の冷視をそそぐこ
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