動は、それがためにまったく望みないものと化してしまったのです。
 と云うのは、かつて国民讃仰の的だったフォン・エッセン男を、忌むべき逃亡者としたばかりではなく、かたわら一つの人形を作って、それとなく艇長の生存説を流布しはじめたのでした。
 それが今日、維納《ウイン》の噂に高い鉄仮面で、フォールスタッフの道化面を冠った一人の男が、郊外ヘルマンスコーゲル丘のハプスブルグ望楼に幽閉されていると云うのです。
 そうなって、重大な国家的犯罪者らしいものと云えば、まず艇長をさておき外にはないのですから、その陋策がまんまと図星を射抜きました。そして、情けないことに墺太利《オーストリヤ》国民は、付和雷同の心理をうかうかと掴み上げられてしまったのです。
 で、聴くところによると、その男の幽閉は一九一八年から始まっていて、最初はグラーツの市街を、身体中に薔薇と蔦《つた》とを纏《まと》い、まるで痴呆か乞食としか思われぬ、異様な風体で徘徊《はいかい》していたというそうなのです。
 しかし、すでに海底深く埋もれているはずの艇長が、どうして、故国に姿を現わし得ましょうや。
 まさに左様、艇長フォン・エッセン男爵の
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