朝風の和やかな気動が、復六の縮毛《ちぢれげ》をなぶるように揺すっていたが、彼は思案げに手を揉《も》み合せるのみで、再びあの微笑が頬に泛《うか》んではこなかった。
そうして、犬射復六が座に戻ると、今度は一人の老人が、道者杖《しるべづえ》をついて向うの列から抜け出てきた。
その老人は、もちろん追放された復辟《ふくへき》派の一人で、長い立派な髯に、黄色い大きな禿頭をした男だったが、その口からは、艇長死体の消失をさらに紛糾させ、百花千|瓣《べん》の謎と化してしまうような事実が吐かれていった。
「儂《わし》は、王立《ロイヤル》カリンティアン快走艇《ヨット》倶楽部《くらぶ》員の一人として、かつてフォン・エッセン男爵に面接の栄を得たものでありますが、儂ですらも、これまではさまざまな浮説に惑わされ、艇長の死を容易に信ずることができなかったのでした。
それが、今や雲散霧消したことは、なにより墺太利《オーストリヤ》海軍建設以来最初の英雄であるところの、フォン・エッセン閣下のため祝福さるべきであろうと信じます。
けれども、『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』そのものは、きわめて初期の沿岸艇でありまして、お
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