そらく艇長のような、鬼神に等しい魔力を具えた人物でない限りは、それによって、大洋を横行するなどは絶対不可能に違いないのです。だが儂は、あのおり『鷹の城』の脱出を耳にしたとき、ふと暗い迷信的な考えに圧せられました。
と云うのは、元来あの艇は、ゲルマニア型として墺太利帝国最初の潜航艇だったのですが、その中膨れのした船体を御覧になって、これはキムブルガーの唇([#ここから割り注]ハプスブルグ家代々の唇の特徴[#ここで割り注終わり])じゃ――と陛下《へいか》が愛《め》でられたほどに由緒あるもの――それが沿岸警備にもつかず、塗料の剥げた船体を軍港の片隅に曝《さ》らしていたのは何が故でしょうか。
それは、シュテッヘ大尉の消失――そのトリエステ軍港の神秘が、そもそもの原因だったのです。
一九一四年開戦瞬前に起って、さしも剛毅《ごうき》な海兵どもを慄《ふる》え上がらせたというその不思議な出来事は、いま耳にした艇長屍体の消失と、生死こそ異なれ、まったく軌道を一つにしているではありませんか。
夫人は御承知でしょうが、シュテッヘ大尉は、フォン・エッセン閣下の莫逆《ばくぎゃく》の友でありまして、同じ快
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