太郎は、神経的な、まるで狐みたいな顔を持っていた。
彼は即座に感情を露《あら》わして、その皮膚の下に、筋肉の反応がありありと見えるくらいであるが、その様子はむしろ狂的で悲劇的で、絶えず彼は、自分の頓死を気づかっているのではないかと思われた。
しかし、最後の八住衡吉となると、誰しもこれが、ウルリーケの夫であるかと疑うに相違ない。
それは、世にも痛ましく、浅ましいかぎりであったからだ。衡吉ははや六十を越えて、その小さな身体と大きな耳、まるい鼻には、どこか脱俗的なところもあり、だいたいが人の良い堂守と思えば間違いはない。
ところが、その髪を仔細に見ると、それも髭も玉蟲色に透いて見えて、どうやら染められているのに気がつくだろう。そうして、愚かしくも年を隠そうとしていることは、一方に二十いくつか違う、妻のウルリーケを見れば頷《うなず》かれるが、事実にも衡吉は、不覚なことに老いを忘れ、あの厭わしい情念の囚虜《とりこ》となっているのだった。
その深い皺、褪せた歯齦《はぐき》を見ると、それに命を取る病気の兆候を見出したような気がして、年老いて情慾の衰えないことが、いかに醜悪なものであるか――如実に示されていた。
そのせいか、大きな花環を抱いているそのすがたにも、どこか一風変った、感激とでも云いたいものがあって、おそらく思慮や才智も、充分具えているに違いないが、同時にまた、痴呆めいた狂的なものも閃《ひらめ》いているのだった。
そうして、以前はその四人が、同じ室戸丸の高級船員だったことが明らかになれば、ぜひにも読者諸君は、それと失明との関係に、大きな鎖の輪を一つ結びつけてしまうに相違ない。
そのおりウルリーケは、静かに列の間を、岬の鼻に向って歩んでいった。
ウルリーケが立ち止まって、波頭の彼方を見やったとき、その顔には、影のような微笑が横切った。それはごく薄い、やっと見えるか見えないぐらいの、薄衣《ヴェール》のようなものだったが、しばし悲しい烙《やき》印の跡を、覆うているかのように見えた。
ウルリーケは、見たところ三十がらみであるが、実際は四十に近かった。
のみならず、その典型的な北欧型《スカンディナヴィアン・タイプ》といい、どうみても彼女は、氷の稜片で作り上げられたような女だった。生え際が抜け上がって眉弓が高く、その下の落ちくぼんだ底には、蒼《あお》い澄んだ泉のような瞳があった。
両端が鋭く切れすぎた唇は、隙間なくきりりと締っていて、やや顎骨が尖っているところといい、全体としては、なにかしら冷たい――それが酷《むご》いほどの理性であるような印象をうけるけれども、また一面には、氷河のような清冽な美しさもあって、なにか心の中に、人知れぬ熾烈《しれつ》な、狂的な情熱でも秘めているような気もして、おりよくその願望が発現するときには、たちまちその氷の肉体からは、五彩の陽炎《かげろう》が放たれ、その刹那、清高な詩の雰囲気がふりまかれそうな観も否めないのだった。
しかし、ウルリーケのすらっとした喪服姿が、おりからの潮風に煽られて、髪も裾も、たてがみのように靡《なび》いているところは、どうして、戦女《ワルキューレ》とでも云いたげな雄々《ゆゆ》しさであった。
空は水平線の上に、幾筋かの土堤《どて》のような雲を並べ、そのあたりに、色が戯れるかのごとく変化していった。彼女はしばらく黙祷を凝《こ》らしていたが、やがて、波間に沈んだ声を投げた。
その言葉はかずかずの謎を包んで神秘の影を投げ、しばらくはこの岬が、白い大きな妖しげな眼の凝視の下にあるかのようであった。
「いつかの日、私はテオバルト・フォン・エッセンという一人の男を知っておりました。その男は、墺太利《オーストリヤ》海軍の守護神、マリア・テレジヤ騎士団の精華と謳《うた》われたのですが、また海そのものでもあったのですわ。
ああ貴方! あの日に、貴方という竪琴の絃《いと》が切れてからというものは……それからというもの……私は破壊され荒され尽して、ただ残滓《かす》と涙ばっかりになった空虚《うつろ》な身体を、いま何処で過ごしているとお思いになりまして。
私は、貴方との永くもなかった生活を、この上もない栄誉《はえ》と信じておりますの。だって貴方は、怖《おそ》れを知らぬ武人――その方にこよなく愛されて、それに貴方は、墺太利全国民の偶像だったのですものね。
ところが、あの日になって、貴方は急に海から招かれてしまったのです。
というのも、貴方が絶えずお慨《なげ》きになっていたように、なるほど軍司令部の消極政策も、おそらく原因の一つだったにはちがいないでしょうが、もともといえば、貴方お一人のため――その一人の潜航艇戦術が伊太利《イタリー》海軍に手も足も出させなかったからです。
ねえ、そうで
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