に微風ではなく、髪も着衣《きもの》も、なにか陸地の方に引く力でもあるかのよう、バタバタ帆のようにたなびいているのだ。
人たちは、いずれも両脚を張ってはいるが、ともすると泡立つ海、波濤の轟き、風の喊声《かんせい》に気怯《きお》じがしてきて、いつかはこの蒼暗たる海景画が、生気を啜《すす》りとってしまうのではないかと思われた。
しかし、その一団は、はっきりと二つの異様な色彩によって区分されていた。
と云うのは、まことに物奇《ものめずら》しい対象であるが、夫人と娘の朝枝以外の者は、七人の墺太利人《オーストリヤじん》と四人の盲人だったからである。
そのうち七人の墺太利人は、いずれも四十を越えた人たちばかりで、なかには、指先の美しい音楽家らしいのもいた。また、髭《ひげ》の雄大な退職官吏風の者もいて、顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》のあたりに、白い房を残した老人が二つ折れになっているかと思えば、また、逞《たくま》しい骨格を張った傷病兵らしいのが、全身を曲った片肢で支えているのもあって、服装の点も区々まちまちであった。
しかし、誰しもの額や顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》には、痛ましい憔悴の跡が粘着《ねば》りついていて、着衣にも労苦の皺《しわ》がたたまれ、風がその一団を吹き過ぎると、唇に追放者《エミグレ》らしい悲痛なはためきが残るのだった。
また、盲人の一群は、七人の向う側に立ち並んでいて、そのぎごちない身体つきは、神秘と荒廃の群像のように見えた。
もはや眼以外の部分も、生理的に光をうけつけなくなったものか、弱った盲目蛆《めくらうじ》のように肩と肩を擦《す》り合わせ、艶《つや》の褪《あ》せた白い手を互いに重ねて、絶えず力のない咳をしつづけていた。
しかし、この奇異《ふしぎ》な一団を見れば、誰しも、一場の陰惨な劇《ドラマ》を、頭の中でまとめあげるのであろう。
あの黒眼鏡を一つ一つに外していったなら、あるいはその中には、天地間の孤独をあきらめきった、白い凝乳のような眼があるかもしれないが、おそらくは、眼底が窺《うかが》えるほどに膿潰《のうかい》し去ったものか、もしくは蝦蟇《ひきがえる》のような、底に一片の執念を潜めたものもあるのではないかと思われた。
が、いずれにもせよ、盲人の一団からは、故《ゆえ》しらぬ好奇心が唆《そそ》られてくる。そしていまにも、その悲愁な謎を解くものが訪れるのではないかと考えられた。
その四人は朝枝を加えて、やや金字塔《ピラミッド》に近い形を作っていた。
と云うのは、中央にいる諾威《ノルウェー》人の前砲手、ヨハン・アルムフェルト・ヴィデだけがずば抜けて高く、それから左右に、以前は一等運転士だった石割《いしわり》苗太郎《なえたろう》と朝枝、そして両端が、現在はウルリーケの夫――さきには室戸丸《むろとまる》の船長だった八住《やずみ》衡吉《こうきち》に、以前は事務長の犬射《いぬい》復六《またろく》となっているからだった。
そのヴィデは、はや四十を越えた男であるが、丈は六尺余りもあって、がっしりとした骨格を張り、顔も秀でた眼鼻立ちをしていた。亜麻色の髪は柔らかに渦巻いて、鼻は鷹の嘴《くちばし》のように美しいが、絶えず顔を伏目に横へ捻じ向けていた。その沈鬱な態度は、盲人としての理性というよりも、むしろ底知れない、こころもち暗さをおびた品位であろう。
ところが、ヴィデの頸《くび》から上には、生理的に消しがたい醜さが泛《うか》んでいた。頬には、刀傷や、異様な赤い筋などで、皺が無数にたたまれているばかりでなく、兎唇《みつくち》、瘰癧《るいれき》、その他いろいろ下等な潰瘍《かいよう》の跡が、頸《くび》から上をめまぐるしく埋めているのだった。
それらは、疾病《しっぺい》放縦などの覆い尽せない痕跡なのであろうが、一方彼が常に、砲手として船に乗るまでは数学者だった――などというところをみると、そのかずかずの醜さは、とうてい彼の品位が受け入れるものとは思われなかった。
むしろ、その奇異《ふしぎ》な対象から判断して、事実はその下に、美しい人知れない創《きず》があって、それを覆うている瘤《こぶ》というのが、あの忌わしい痕のように考えられもするので、もしそうだとすると、ヴィデには二つの影があらねばならなくなるのだった。
それから、犬射復六は小肥りに肥った小男で、年配はほぼヴィデと同じくらいであるが、一方彼は詩才に長《た》け、広く海洋の詩人として知られている。
柔和な双顎《ふたあご》の上は、何から何まで円みをおびていて、皮膚はテカテカ蝋色に光沢《つや》ばんでいる。また唇にはいつも微かな笑いが湛えられていて、全身になんともいえぬ高雅な感情が燃えているのだった。
それに反して石割苗
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