轤ヒばならない。そして、疾風のような気流が、畳扉の隙から、紡車に吹きつけるからだ」
そう云って、法水は隣室におもむいたが、やがて戻って来たとき、手に台紙の燃え屑が握られていた。
しかし、彼は鋭鋒を休めず、さらにウルリーケに向って続けた。
「もちろんそれだけでは、シュテッヘと貴女との関係が、完璧に証明されたとは云われません。しかし、『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』がトリエステを去った日の朝、貴女が、『ニーベルンゲン譚詩《リード》』に側線《アンダーライン》を引いて、Leaf《リーフ》(葉)と Crosslet《クロスレット》(十字形)という二つの文字を示されたでしょう。そのとき艇長は、なぜ暗い気持に襲われたのでしょうか。貴女が、かたわらの眼を怖れて秘かに指摘した、ジーグフリードの弱点というのは、そもそもいったい何事だったのでしょうか――下には舌のような葉なりの形で、ただ一つの致命点があり、その上の衣の上に、縫った十字形が重なっていると云えば。ところが夫人《おくさん》、貴女はそれによって艇長が属していた快走艇《ヨット》倶楽部《くらぶ》――王立カリンティアン倶楽部の三角旗を指摘したのでしたね。あの葉の形と三角旗、縫った十字形と点のみで出来た十字――貴女は、よもやこの一致を偶然の暗合とは云いますまいね。またそうなって、真実その艇長が、フォン・エッセンだとしたら、自分が自分を指摘されたところで、なにもそう、暗い気分に打ち沈むことはなかろうと思われます。まさしくそれが、貴女の心の暗い秘密――不倫の恋が打ち出した怖るべき犯罪だったのです」
と、先刻《さっき》検事が嘲ったバドミントン叢書の「操艇術《ヨッチング》」を取り出してきたとき、その驚くべきほど劇的な一致が、今や動かしがたい事実となって現われた。
そして、初めて検事に、|隠れ衣《タルンカッペ》を被せられたジーグフリード――の意味が明らかになったけれども、彼は眼前のウルリーケが、一枚ずつ衣を脱がされてゆくように感じた。
彼女のスカートには、まだ男喰いの獣性が、垢臭く匂っているかに思われたが、それはとうに外されていて、今ではコルセットも下衣《したぎ》もなく、こうして彼女は、男の前で真裸にされたのである。
続いて法水は、屠殺される、獣のように打ち挫《ひし》がれているウルリーケを見やりながら、鮮かに、トリエステと今日の事件との間に、聯字符を引いた。
「ところが、貴女も後になって気づかれたように、まったく死んだと信じられていた艇長が、その後も不可解極まる生存を続けていたのです。そして、『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』が岬の角に来ると同時に、夜な夜な上陸しては、防堤のあたりを彷徨《さまよ》いはじめました。ねえ夫人《おくさん》、艇長はその土の上に、一夜に一字ずつ毒殺者の名を記していったのですよ」
とそこで、現実の恐怖が再びしんしんと舞い戻ってくるのだったが、さて彼が取り出したものを見ると、それには奇様な符号が、並んでいるにすぎなかった。
[#防堤に書かれた符号の図(fig43656_02.png)入る]
しかし法水は、それに妖魔のような気息《いぶき》を吹き込んでいった。
「この一団の符号が、この真裏に当る、防堤の上に記されてあったのですが、一見したところでは、なんのことはない子供の悪戯《わるさ》としか見えないでしょう。しかし、計らずもこれに、僕の偏狂な知識が役立ちました。つまり、これを古代火術符号([#ここから割り注]以上の符号は、火薬の始祖コンスタンチン・アンクリッツェン以降、ヴェネチアの攻城火術家アレッサンドロ・カポビアンコあたりまで用いられていたもの[#ここで割り注終わり])に当ててゆくのですが、もちろんその知識は、外国の軍事専門家――しかも、極めて少数の人たちに限られていると云えましょう。でまず、最初の一つから、硝子粉《グラス・シュタウブ》、浸剤《インフュズム》、硫黄《ズルフル》、単寧《タンニン》、水銀《メルクル》、醋《オキゾス》、溶和剤《レゾルフェンチア》、黄斑粉《ディスティツェティン》、紅殻《アイゼンメンニンゲ》、樹脂《レギーナ》――と読んでいって結局《とどのつまり》その頭文字を連ねるのです。すると、そうしたものが、〔Gift−mo:rder〕《ギフト・メールダー》(毒殺者)となるではありませんか。ああ、毒殺者です。ところが、それ以下の十四字は、遺憾ながら読むことができないのですが、なんとなく字数の工合から察して、それには二人の名が、隠されているように思われるのです。もちろん、そのうちの一つは、すでに遂行されております――いつぞや遭難の夜に、悪人ながら友シュテッヘを毒殺した八住――とすると、もう一人の方は、夫人《おくさん》、いったいだれになるのでしょうか」
と法水が、グイと抉《
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