も十日たっても、何日《いつ》になっても開こうとはしないのです。
 そうして、私の病いも、それと同時に薄皮を剥がすように癒ってゆきました。
 ところが、はじめて床を出た今朝、ふと気がついてみますと、この花が私の枕辺から消えているのです。それが叔父さま、いつのまにか『|鷹の城《ハビヒツブルグ》』に来ていて、このとおりパッと開いているのではございませんか」
 その不思議なアマリリスが、赤い舌のような花瓣をダラリと垂らしているところは、何かもの云いたげであった。
 そして、そのいいしれぬ神秘と詩味は、蒼味の強い童話本の挿画《さしえ》のようであったが、今朝の惨劇に時を同じくして起ったこの奇蹟には、なにか類似というよりも、底ひそかに通っている整数があるのではないかと思われた。
 法水は、次々と現われてくる謎に混乱してしまったが、まもなく一同を去らしめて、この室の調査を開始した。
 そして、最初にまず、艇長の遺品《かたみ》二点を取り上げた。

      二、ニーベルンゲン譚詩《リード》

 作者はここで、艇内にあらわれた「ニーベルンゲン譚詩《リード》」について語らねばならない。
 といって、この独逸《ゲルマン》大古典のことを考証的に云々するのではない。
「ヒルデブランドの歌」につづいて、「英雄之書《ヘルデン・ブッフ》」、「グドルン詩篇」などとともに、じつに民族の滅びざるかぎり、不朽の古典なのであるから……。
 この物語が、おそらく十二世紀末に編まれたであろうということは、篇中に天主教の弥撒《みさ》などがあり、それが一貫して、北方異教精神と不思議な結婚をしているのでも分る。もともと素材はスカンディナヴィア神話にあって、ヴィベルンゲンの伝説《ザガ》、ニーベルンゲン伝説《ザガ》などと、いくつかの抜萃集成にほかならない。
 ところが、ワグナーに編まれて尨大な楽劇になると、はじめて新たな、生々とした息吹が吹きこまれてきた。
 それは、三部楽劇として作った、「|ニーベルンゲンの指環《デア・リング・デス・ニーベルンゲン》」のなかで、ワグナーが、この古話の構想を寓話的に解釈せよと、叫んだからだ。すなわち、倫理観を述べ、人生観をあらわし、社会組織を批判して、おのれの理想をこの大曲中に示したのであるから……。
 まさに作者も、ワグナーに、模倣追随をあえてしてまで、この一篇を編みあげようとするのだ。
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