顫《ふる》えていたのでしたわ」
[#四人の位置関係を示す図(fig43656_01.png)入る]
 ウルリーケが再び片隅に去ると、法水はしばらく額の皺を狭めて考えていたが、やがて、検事をニコリともせず見て、別の事を云いだした。
「ねえ支倉君、できることなら、見当ちがいの努力をせんように、おたがいが注意しようじゃないか。
 何より怖ろしいのは、僕らの方で心気症的《ヒポコンデリック》な壁……それを心理的に築き上げてしまうことなんだよ。現にこの卍《まんじ》の形がそうなんだが、いつぞやの黒死館で、クリヴォフの死体の上に何があったと思うね。
 あの時、それが手の形をして、壇上の右手を指差していた。なるほど、それには犯人の伸子《のぶこ》がいたにはちがいないが、しかし理論的に、なんといって証明するものではない。
 こんなつまらん小細工に引っかかって、心の法則というやつを作られては堪《たま》らんからね」
 けれども、その卍の形は、絶えず嘲《あざけ》るかのごとくびくびく蠢《うごめ》いていて、舷側で波が砕け散るときには薄紅く透いて見え、また、その泡が消え去るまでの間は、四つの手が、薄気味悪く蠕動《ぜんどう》していて、それには海盤車《ひとで》の化物《ばけもの》とでも思われるような生気があった。
 しかし、法水は振り向きもせず、奥の室の扉《ドア》を開けた。
 その室には、前部の発射装置がそっくりそのままになっていて、その複雑な機械の影は、市街の夜景ででもあるように錯覚を起してくる。
 その前で、朝枝は茫《ぼ》んやりと、一つの鉢を瞶《みつ》めていた。
 その鉢は一本の紅いアマリリスだったが、そうしている朝枝を一瞥《いちべつ》したとき、なにかしら透き通ったような人間ばなれのしたものを法水は感じた。
 朝枝は水っぽい花模様の単衣《ひとえ》を着、薄赤《とき》色の兵児《へこ》帯を垂らしているが、細面の頸の長い十六の娘で、その四肢《てあし》は、佝僂《せむし》のそれのように萎え細っていた。
 全体が腺病的で神経的で、なにかの童話にある王女のように、花の雨でも降れば消え失せるのではないかと危ぶまれる――それほどに、朝枝は痛々しく蝋のような皮膚《はだ》色をしていたが、一方にはまた、烈しい精神的な不気味なものがあって、すべてが混血児という、人種の疾病《しっぺい》がもたらせたのではないかとも思われるのだった。
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