Bれ衣《タルンカッペ》をつけたジーグフリード――この隠語一つの上にかかっているのだがね、いずれは防堤の上で、君にその姿を、御覧に入れる機会があるだろうよ」
 検事には、すでに言葉を発する気力がなかった。
 ただ彼は、ニーベルンゲン譚詩《リード》を繞《めぐ》って、二つの旋律が奏でられているような気がしていた。自分が弾《ひ》き出すと、いつも法水は、その上をいって、またその二つが絶えず絡み合うのだが、そうしていつ尽きるか涯しない迷路の中を、真転びひしめき行くように思われた。
 すると法水は、それまでにないひたむきな形相をして、言葉を次いだ。
「というのは、あるいは妄想かも知らんがね、実はある一つの、怖ろしい事実を知ったからなんだ。だから、一人の名を知れば、それでいいのだよ。ねえ支倉君、このモヤモヤした底知れない神秘――事実まったく迷濛たる事件じゃないか。ニーベルンゲン――暗い霧の子、|霧の衣《タルンカッペ》、ああ霧だ霧だよ、霧、霧、霧……」
 と法水の手が、頸《くび》の廻りをかいさぐると、握った指の間から、すうっと這い出るように海霧《ガス》が遁れて行くのだが、さてそうして開いた掌には烟《けむり》の筋一つさえ残らないのである。
 その指のしなだれ、燐火のような蒼白さには、ただでさえ、闇中の何物かに怯《おび》やかされていることとて、検事は耐らず、灯を呼びたげな衝動に駆られてきた。
 しかし、それは結論を述べる、法水の意外にも落着いた声で遮られた。
「そこで、僕が云うジーグフリードとは、いったい誰のことか。ジーグフリードのいないニーベルンゲン譚詩《リード》――この事件は、まさにそれなんだ。つまり、事件の解決は、あの大古典の伝奇的なつながりの中にあるのだ。ああ支倉君、紙魚《しみ》に蝕ばまれた文字の跡を補って、トリエステで口火が始まる、大伝奇を完成させようじゃないか」
 ジーグフリード……別名《エーリアス》は?
 それは事によると、芝居気たっぷりな法水が、暗にシュテッヘを差しているのかも知れず、もしくはまた、彼の卓越した心理分析によって、なにか会話の端からでも、新しい人名が掴み出されたのではないかと思われたが、そうして、検事は悪夢の中を行きつ戻りつしているうちに、いやが上にも謎を錯綜とさせる、法水を恨まずにはいられなかった。
 そこへ、書架の横にある扉《ドア》が開いて、朝枝の蝋色を
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