る事になった。けれども、その時の、杉江の顔をもし眺めた人があったとしたら、たしかその中に燃えさかっている、激情の嵐を観取する事が出来たであろう。彼女は雨戸に手をかけたままで、茫《ぼ》んやり前方の空間を眺めていた。そこには大観覧車の円芯の辺りを、二、三条の夕焼雲が横切っていて、それが、書割の作り日の出のように見えた。そして、問題の一等車が、予期した通り円の頂点に静止しているのだけれども、そのもの静かな黄昏が、今宵からのお筆の安かな寝息を思わせるとは云え、却って杉江にとると、それが魔法のような物凄い月光に感ぜられたのであった。
 それから、彼女は雨戸を繰り、硝子戸を締めて、階段を下りて行ったが、何故か本屋に帰るではなく、離れの前庭にある楓の樹に寄りかかって、じっと耳を凝らし始めた。すると、それから二、三分後になって、お筆がいる二階の方角で、キイと布を引き裂くような叫声が起った。その瞬間杉江の全身が一度に崩れてしまい、身も世もあらぬように戦《おのの》き出したと思われたけれども、見る見る間に彼女の顔は、鉄のような意志の力で引き締められて行った。そして、本屋の縁を踏む頃には、呼吸も平常通りに整っ
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