がね。その前に、あの人は私を捉まえて、その些中《さなか》になるとどうも胸がむかついて来て――と云うものだから、私は眼を瞑《つむ》るよりも――そんな時は却って、上目《うわめ》を強《きつ》くした方がいいよ――と教えてやったものさ。だけども、その日ばかりには限らなかったけれど、そのような折檻の痛目を前にしていても、あの人は何処となく浮き浮きしていたのだ。と云うのは、その可遊と云う男が、これがまた、井筒屋《いづつや》生き写しと云う男振りでさ。いいえどうして、玉屋ばかりじゃないのだよ、廓中あげての大評判。四郎兵衛さんの会所から秋葉《あきば》様の常夜灯までの間を虱潰《しらみつぶ》しに数えてみた所で、あの人に気のない花魁などと云ったら、そりゃ指折る程もなかっただろうよ。なあに、もうそんな、昔の惚言《のろけ》なんぞはとうに裁判所だっても、取り上げはしまいだろうがね。だけど、その時の可遊さんと来たら、また別の趣きがあって、却って銀杏八丈の野暮作りがぴったり来ると云う塩梅《あんばい》でね。眼の縁が暈《ぽ》っと紅く染って来て、小びんの後毛《おくれげ》をいつも気にする人なんだが、それが知らず知らずのうちに一本
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