に定紋を彫った、白笄をお職に贈ると云う風習があるんだよ。所が杉江さん、私が一生放さないと云うに就《つ》いては、此処に酷《むご》い話があってね。それには、お前さん達は知るまいけれども、最初まず、『釘抜』と云う訳を聴いて貰いたいのさ」
お筆が洩らした「釘抜」という言葉の意味は、あの肉欲世界と背中合わせになっていて、時には其処から鬼火が燃え上ろうし、また或る時は、承梯子《かるわざこ》の錬術場《きたえば》と云うような役目も務めると云った、一種の秘密境なのである。遊女には、永い苦海の間にも精気の緩急《おきふし》があって、○○○の肌が死ぬほど鬱《うっ》とうしく感ぜられ、それがまるで、大きな波の蜒《うな》りの底に横わっていて、その波が運んでくれるまではどうにもならないと云ったような、何とも云えぬやるせなさを覚える時期があるのだ。それをまかし[#「まかし」に傍点]と云って、その時期には自然○○○が疎《うと》くなり、稼ぎが低くなるのであるから、その対策として、楼主側では「釘抜」と呼ぶ制裁法を具《そな》えていた。それには、幾つかの形式があるけれども、そのうちで最も大仕掛な、機械化されたものが玉屋にあったのだ。
恐らく、その折檻法の起因と云えば、宗教裁判当時かマリア・テレジア時代の拷問具が、和蘭《オランダ》渡りとなったのであろうが、まず、大きな矢車と思えば間違いはない。その矢柄の一つに、二布だけの裸体にした遊女を括り付けて、そこに眩暈《めまい》を起させぬよう、緩かに回転して行くのだ。また、それから行う折檻の方法が、二種に分れているのであって、枕探しをしたとか、不意の客と深間になったとか云う場合などは、身体の位置が正常《まとも》になった時――即ち、頭を上に直立した際を狙って、背を打つのである。勿論《もちろん》それには、苦痛がまともに感ぜられるのであるが、単純なまかし[#「まかし」に傍点]の場合だと、身体が逆立して血が頭に下り、意識が朦朧となった際を打つのであるから、その痛感は些程《さほど》のものではなく、たとえばピリッと電光のように感じはしても、間もなくその身体が、平行から直立の方に移って行くので、従って、その疼《うず》きと共に、血が快《きもち》よく足の方に下って行って、そこに得《え》も言われぬ感覚が齎《もた》らされて来るのである。つまり、これなどは、廓と云う別世界が持つ地獄味のうちで
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