でも、一時は恐らく、パウロが云った――修道生活は優れた生活ではあるが義務ではない――と云う言葉などで、ひどく悩んだことでしょうが、結局根強い偏執のためには敵すべくもなかったのです。ところで、告白書の中にこう云う一節があります。――軟骨と云うものは妙な手応えがするものですわね。けれどもそれを感じた瞬間、童貞女のみが知る気高い神霊的な歓喜を、養父を殺《あや》める苦悩の中でしみじみ味わされました――と云うのですよ。すると、何が養父ラザレフを殺させたか判然《はっきり》お解りになったでしょう。それを一口に云うと、もう一つパウロの言葉を例に引きますが、家庭の義務に心を分けられざりし一人が、不幸にも革命の難をうけてふたたび家庭に戻ったため、起った悲劇なのですよ。」
 この陰惨な動因に、イリヤは耳を覆いたかったであろう。閉じた瞼が絶え間ない衝動で顫《ふる》えていた。法水はやっと解放された思いで、説明を殺人方法に移した。
「ところが、驚いたことに、姉さんの犯罪にはその方法と動機とが、ちょうど二重人格的な対比を示しているのです。あの蒙迷固陋《もうめいころう》な宗教観に引き換えて、犯行の実際には真にすばらし
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