それは、死体の左腕が内側に湾曲《まが》っていたからだよ。歩けるところを見ると、かなり軽度なもので、おそらく発病が眩暈《めまい》を起した程度だったろうが、ラザレフの左半身は中風性麻痺に罹《かか》っていて、それがほとんど軽快に近い症状だったのだ。麻痺が薄らいでいたと云う証拠には、腕が内側に捻《ねじ》れて指先が鉤《かぎ》形になっている。また、そう云う時には、肢《あし》を曲げるのに困難を覚えるので、あの跫音をそれと想像させた環状歩行が起って来るのだ。つまり、不自由な方の足を、趾《ゆび》先がガクッとならないように足掌《あしのひら》を斜めにして、内側から外方にかけて弧線を描きながら運ぶからだよ。すると、健康な脚を運んだ時しか音が立たないから、二足運んでも跫音は一つしか聴えない。だから、それに似た調子が連続して聴えたとしたら、当然ラザレフを想像するほかにないだろう。」
 ラザレフの左半身不髄であると云うことより、法水の理路整然たる推論に驚かされたが、
「なるほど、」と熊城は深く頤《あご》を引いて、「すると、振綱に瓦斯管が挾んである理由が判ったよ。半身のあまり自由でないラザレフは、あれに足を掛けて引く
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