院長という人物がどんなに悪魔的な存在だったかまた、病苦に歪められたその耽美思想が、どういう凄惨な形となって現われたかは、詳しくお判りになりましょう。そして、これが完全屍蝋の研究以外に、失楽園で過された生活の全部だったのです」
宝相華と花喰鳥の図模様で飾られた表紙を開くと、法水の眼は忽ち冒頭の一章に吸い付けられて行った。
――××六年九月四日、余は岩礁の間より、左眼失明せる二十六、七歳の美《うる》わしき漂流婦人を救えり。所持品により、本籍並びに番匠幹枝《ばんしょうみきえ》という姓名だけは知りたれども、同人は精神激動のためか、殆んど言語を洩らさず、凡てが憂欝狂《メランコリア》の徴候を示せり。されど、時偶《ときたま》発する言葉により、同人が小机在の僧侶の妻にして、夫の嫉妬のために左眼を傷つけられ、それが引いては、入水の因をなせしこと明らかとなれり。そのうち、余の心は次第に幹枝に惹かれ行き、やがて狂女と同棲生活に入りしこそ浅ましけれ。
――されど、余には一つの計画あり、まず、その階梯を踏まんがため、眼科出の杏丸に命じて、幹枝の左眼に義眼手術を施せり。しかして、その手術中彼を強要して、生
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