民、それから、イルツクの日本語学校で育った儂たちだ。松前の藩から、上陸を拒まれたを機《しお》に、この島に根城を求めたが、今までは一とおり、金髪にも亜麻《あま》色にも……。ええしたが、五大州六百八十二島の中で、ものもあろうに緑の髪の毛とは……」
 しかし、そうしているうちに、横蔵の眼は、ほとんど痛いくらいに、チカチカしはじめた。
 見ると、女はよろよろ歩き出して、夢中に藻の衣を脱ぎ続けるのだ。
 唇《くちびる》をキュッと結び、寒気を耐えるように、両腕を首の下で締めつけると、ずるりと落ち、荒布《あらめ》の下から、それは牝鹿《めじか》のような肩が現われた。乳房は石のように固くなっていて、高まり切った乳首、えくぼのような臍《へそ》、それを中心に盛り上がった、下腹部の肉づきのみずみずしさ。
 彼女の動作は、大きく弱々しく、ほどよく伸びた腓《ふくらはぎ》が、いまにも折れそうになっていく。
 しかし彼女は、横蔵を眼に止めたとき、はじめて――それも本能的に、羞恥《しゅうち》の姿勢をとった。はじめは、メディチのヴィナスのように、片手を乳の上に曲げ、他の伸ばしたほうの掌《て》を、ふさふさとした三角形《デルタ》の陰影《かげ》の上に置いた。が、すぐとこんどは、カノヴァのそれのように、両手を胸の上で組み交わした。
 そして、その姿勢のまま、臆《おく》する色もなく横蔵に言った。
「私、たいへん寒いんですの。もう凍《こご》え死にしそうですわ。いえいえ決して、あなたがたの敵ではございませんから」
 それはともすると、打ち合う歯の音に、消されがちだったけれど、紛れもない魯西亜《オロシャ》言葉だった。
「うむ、※[#「火+畏」、第3水準1−87−57]《おき》はもちろん、場合によっては、家も衣も、進ぜようがのう。したが女、そちはどこからまいったのじゃ」
 そう言いながら、自分の唇に、濡《ぬ》れた相手の腋毛《わきげ》を、しごきたいような欲情に駆られ、横蔵はぶるると身を震わした。
「言うまでもありませんわ。あの軍船、アレウート号からでございます。実は、十日ほど前から、悪疫に襲われまして、すんでのことに、私も水葬されるところだったのでした。でも、御安心あそばせな。私はただ、一つの部屋におりましたというのみのこと、伝染《うつ》るのを恐れて、投げ入れられましたなれど、実はこのとおり健《すこ》やかなのでございますから」
 女の心臓が、横蔵のそれほど、激しく鼓動してないことは、言葉つきでも知れた。そして、静かに顔をめぐらして、岩城《いわしろ》の明かりを、もの欲しげに見やるのだったが、その時、軍船の舵機《だき》が物のみごとに破壊された。新しい囚虜《とりこ》を得た、歓呼の鯨波《とき》が、ドッといっせいに挙がる。
 おお、魯西亜の軍船アレウート号は、われらが手に落ちた。そして――と横蔵は、ふと恋のなかった自分の過去を、あれこれと描き出すのだった。
 それから、小半刻《こはんとき》ばかりののちに、女はどうやら精気を取りもどしたらしい。岩城の中の一室で三人の姉弟に取り巻かれて、いまや彼女は、薔薇《ばら》色のうねりを頬《ほお》に立てつつあるのだ。
 それは、惹《ひ》きつけられるほどに若い、二十歳ごろの娘だった。
 髪も眉《まゆ》も、薄い口髭《くちひげ》もまったくの緑色で――その不思議な色合いが、この娘を何かしら、神々《こうごう》しく見せるのだった。
 そこは、部屋とはいえ、むしろ岩室と呼ぶほうが似つかわしいであろう。それとも、教坊の陰気臭さが、奇巌《きがん》珍石に奥まられた、岩狭《はざま》の闇《やみ》がそれであろうか。岩をくり抜いて作った、幾つかの部屋部屋には、壁に、斜め市松の切り子ガラスなど、はめられているけれども、総じて無装飾な、真っ黒にくすぶり切った、椅子《いす》や曲木《まげき》の寝床などが散在しているにすぎなかった。
 壁の一枚岩にも、ところどころ自然がもてあそんだ浮き彫りのようなものが見られるけれど、それらもみな、蒼然《そうぜん》たる古色を帯び煤《すす》けかえっているのだ。
 しかし、そこで女は、彼女に劣らぬほど、美しい一人の女性を発見した。
 その婦人は、横蔵・慈悲太郎には、姉に当たる紅琴女だった。
 年のころは、三十を幾つか越えていて、鼻のとがった、皮膚の色の透き通った――それでいて、唇には濃過ぎるほどに濃い紅がたたえられているといった――どこか調和のとれない、病的な影のある女だった。そして、すらりとした華奢《きゃしゃ》な体を、揺り椅子《いす》に横たえて、足へは踵《かかと》の高い木沓《きぐつ》をうがち、首から下を、深々とした黒|貂《てん》の外套《がいとう》が覆うていた。
 女は、紅琴の慈悲深い言葉で問われるままに、最初自分の名を、フローラ・ステツレルと答えた。
「一とおりお
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