無限の感動をこめて、じっと紅琴の顔を見つめている。もう、薄っすらとにじんだ涙にも流れ落ちる気力はなかった。
紅琴は、彼女の首をひしと抱いて、子供のように胸の上で揺すぶった。
「私は、そもじの過去を、はじめて会うたときに、それと悟ったほど……。その、燃えるような緑の髪も、惨苦と迫害の標章《しるし》でのうて、なんであろう。そもじは、ネルチンスクの銅山にまで流れていき、髪にそのような、中毒が現われるまで、つらい勤めを続けたのであろう。だが、それはさておいて、今こそ、そもじに横蔵慈悲太郎を害《あや》めた、下手人の名を告げましょうぞ。
そもじが見た父とやらは、真実の腕ではなく、実は、格ガラスに現われる、性悪な気紛れなのじゃ。そもじは、砒石《ひせき》の蒸気を防ぐために、硫気を用いたのであろうけれど、それが市松のくぼみに溜《た》まった水に溶け、黝《くろず》んだことゆえ、まっすぐなものも、かえって反りかえって見えたのじゃ。
船内でも慈悲太郎の部屋でも、一つはそもじをねらった荒くれ漢《おのこ》、また一つが――この私だったと聞いたら、驚くであろうのう」
そう言って、高い木沓《きぐつ》を脱ぐと、なかから、それは異様なものが現われた。双方の足趾《あし》は、いずれも外側に偏《かたよ》っていて、大きな拇趾《おやゆび》だけがさながら、大|箆《へら》のように見えるのだった。
それは、言わずと知れた、纏足《てんそく》だったのである。
「これを見たら、慈悲太郎の聞いた、足音の主が何者であったか、いまさらくどくどしく、説き明かすまでのこともないであろう。私は、イルクーツクの日本語学校で育てられたとき、漢人に興味を持った、魯人《ろじん》の一人にもてあそばれて、かような痕《あと》を残すようになった。それこそ、木沓を脱いだら、壁に手を支えぬと、私は歩けませぬのじゃ。のうフローラ、なぜに私は、かけ換えのない二人の兄弟――横蔵と慈悲太郎を殺《あや》めたのであろう。それは、そもじを、太夫《だゆう》姿に仕立てたのを見てもわかるであろうが、それとても、そもじが愛《いと》おしく、同胞《はらから》とはいえ妬《ねた》ましく、私の小娘のようにもだえ、またあるときは、鬼神のような形相《ぎょうそう》にもなって、なんの不安もなく懸念《けねん》もなく、いちずに愛の魔術に、愉《たの》しく魅せられ酔わされておったからじゃ。人は、
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