のとしたいくらいでございますのよ」
と悩まし気な、視線を彼に投げ、ほんのりと、紅味に染んだ見交わしの中で、その眼は、碧《あお》い炎となって燃え上がった。そして、片肌を脱がせ、紗《しゃ》の襦袢《じゅばん》口から差し入れた掌《て》を、やんわりと肩の上に置いたとき、その瞬間フローラは、ハッとなって眼をつむった。
彼女は、臆病《おくびょう》な獣物《けだもの》が、何ものかを避けるように飛びのいて、ふたたび、その忌まわしい場所に視線を向けようとはしなかったのである。
というのは彼女が手を引くと同時に、窓越しに差し出された、一つの、煙のような掌を見たからであった。
それは、おそらく現実の醜さとして、極端であろうと思われる――いわばちょうど、孫の手といったような、先がべたりと欠け落ちたステツレルのそれであったからだ。
その夜、徹宵《よっぴて》フローラは、壁に頭をもたせ、うずくまるようにして座っていた。
父ステツレルの怪異が――、あの妖怪《ようかい》的な夢幻的な出現が、時を同じゅうして、いつも、痴《し》れ果てたときの些中《さなか》に起こるのは、なぜであろうか。と、いくら考えつめていっても、同じような混沌《こんとん》状態と同じような物狂わしさは、いっかな果てしもなく、ただただ彼女だけが、その真っただ中に、取り残されているのを知るのみであった。
すると突然、ひゅうひゅうというすさまじい声が、空から聞こえてきた。
彼女の相手となる、男という男に、あの世から投げる父の嫉妬《しっと》が、あまねく影を映すとすればいつか彼女に黴《かび》が生え、青臭い棺《ひつぎ》に入れられても、その墓標には、恋の思い出一つ印されないに相違ない。もう一度、そうだ……。もし慈悲太郎に、横蔵と同じ運命をたどらせるとすれば、もはや男と呼ばれて、彼女をおびやかす、忌まわしい対象が、この島にいなくなるのだ。
と思いなしか、前よりもいっそう狂い募る、波の響き、風の音の中から、彼女にそう警告したものがあった。
しかし、ここに奇異《ふしぎ》というのは、間もなく横蔵の場合と、符合したかのように、慈悲太郎が悪疫にたおされてしまったからである。
そして、季節も秋近く、そろそろ流氷のとどろきがしげくなったころ――、その日は、暮れるとともに、恐ろしい夜となって展開した。
一刻一刻と風は高まり、海は白い泡《あわ》をかぶっ
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