位置を変えてゆくのだから、何度か滴り落ちるうちには、終いに櫨木《はぜのき》から大理石の方へ移ってしまうだろう。だから、大理石の上にある中心から一番遠い線を、逆に辿って行って、それが櫨木にかかった点を連ねたものが、ほぼ原型の線に等しいと云う訳さ。つまり、水滴を洋琴《ピアノ》の鍵《キイ》にして、毛が輪旋曲《ロンド》を踊ったのだよ」
「なるほど」と検事は頷《うなず》いたが、「だが、この水はいったい何だろうか?」
「それが、昨夜《ゆうべ》は一滴も」と鎮子が云うと、それを、法水は面白そうに笑って、
「いや、それが紀長谷雄《きのはせお》卿の故事なのさ。鬼の娘が水になって消えてしまったって」
 ところが、法水の諧謔は、けっしてその場限りの戯言《ぎげん》ではなかった。そうして作られた原型を、熊城がテレーズ人形の足型と、歩幅とに対照してみると、そこに驚くべき一致が現われていたのである。幾度か推定の中で、奇体な明滅を繰り返しながらも、得態の知れない水を踏んで現われた人形の存在は、こうなると厳然たる事実と云うのほかにない。そして、鉄壁のような扉《ドア》とあの美しい顫動音《せんどうおん》との間に、より大きな矛
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