カっ》と動悸《どうき》を押えて耳を澄ましていると、どこかこの室《へや》の真近から、ちょうど瀬にせせらぐ水流のような、微かな音が聴えてくるのだった。と、その矢先、壇上の一角に闇が破られて、一本の燐寸《マッチ》の火が、階段を客席の方に降りてきた。それから、ほんの一|瞬《とき》であったが、血が凍り息窒《いきづ》まるようなものが流れはじめた。しかし、その光が、妖怪めいたはためきをしながら、しきりと床上を摸索《まさぐ》っている間でも、法水の眼だけはその上方に※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みひら》かれていて、鋭く壇上の空間に注がれていた。そして、闇の中に一つの人容《ひとがた》を描いて、じいっと捉まえて放さない幻があった。
 仮令《よしんば》犠牲者は誰であっても、その下手人は、オリガ・クリヴォフ以外にはない。しかも、あの皮肉な冷笑的な怪物は、法水を眼下に眺めているにもかかわらず、悠々《ゆうゆう》と一場の酸鼻《さんび》[#ルビの「さんび」は底本では「さんぴ」]劇を演じ去ったのである。恐らく今度も、矛盾撞着が針袋のように覆うていて、あの畏懼《いく》と嘆賞の気持を、必ずや四度《よたび》繰り返
前へ 次へ
全700ページ中575ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング