瘻O一帯に拡がっている闇の中で、何が見えたのだろうか。その無数に林立している壁灯の残像と云うのが、ほかでもない、ファルケの歌ったあの薄気味悪い樺の森なんだよ。しかも、クリヴォフ夫人は、それを自ら告白しているのだ」
「冗談じゃない。あの女の腹話術を、君が観破したとは思わなかったよ」と熊城は力なく莨《たばこ》を捨てて、心中の幻滅を露わに見せた。それに、法水は静かに微笑んで云った。
「ところが熊城君、あるいはあの時、僕には何も聴えなかったかもしれない。ただ一心に、クリヴォフ夫人の両手を瞶《みつ》めていただけだったからね」
「なに、あの女の手を」今度は検事が驚いてしまった。「だが、仏像に関する三十二相や密教の儀軌《ぎき》についての話なら、いつか寂光庵《じゃっこうあん》([#ここから割り注]作者の前作、「夢殿殺人事件」[#ここで割り注終わり])で聴かせられたと思ったがね」
「いや、同じ彫刻の手でも、僕はロダンの『寺院《カテドラル》』のことを云っているのだよ」と相変らず法水はさも芝居気たっぷりな態度で、奇矯に絶した言《ことば》を曲毬《きょくまり》のように抛り上げる。「あの時、僕が樺の森を云いだすと
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