ス皮剥死刑の図」、右手の壁面には、ド・トリーの「一七二〇年マルセーユの黒死病《ペスト》」が、掲げられてあった。いずれも、縦七尺幅十尺以上に拡大摸写した複製画であって、何故かかる陰惨なもののみを選んだのか、その意図がすこぶる疑問に思われるのだった。しかし、そこで法水の眼が素早く飛びついたというのは「腑分図」の前方に正面を張って並んでいる、二基の中世甲冑武者だった。いずれも手に旌旗《せいき》の旆棒《はたぼう》を握っていて、尖頭から垂れている二様の綴織《ツルネー》が、画面の上方で密着していた。その右手のものは、クェーカー宗徒の服装をした英蘭土《イングランド》地主が所領地図を拡げ、手に図面用の英町尺《エーカーざし》を持っている構図であって、左手のものには、羅馬《ローマ》教会の弥撒《ミサ》が描かれてあった。その二つとも、上流家庭にはありきたりな、富貴と信仰の表徴《シムボル》にすぎないのであるから、恐らく法水は看過すると思いのほか、かえって召使《バトラー》を招き寄せて訊ねた。
「この甲冑武者は、いつもここにあるのかね」
「どういたしまして、昨夜からでございます。七時前には階段の両裾に置いてありまし
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