解し難い謎とされている算哲博士の行状を、君に話すとしよう。帰国後の算哲博士は、日本の大学からも神経病学と薬理学とで二つの学位をうけたのだが、教授生活には入らず、黙々として隠遁的な独身生活を始めたものだ。ここで、僕等が何より注目しなければならないのは、博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか[#「博士がただの一日も黒死館に住まなかったと云うばかりか」に傍点]、明治二十三年には[#「明治二十三年には」に傍点]、わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で[#「わずか五年しか経たない館の内部に大改修を施したと云う事で」に傍点]、つまり[#「つまり」に傍点]、ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ[#「ディグスビイの設計を根本から修正してしまったのだ」に傍点]。そうして、自分は寛永寺裏に邸宅を構えて、黒死館には弟の伝次郎夫妻を住わせたのだが、その後の博士は、自殺するまでの四十余年をほとんど無風のうちに過したと云ってよかった。著述ですらが、「テュードル家|黴毒《ばいどく》並びに犯罪に関する考察」一篇のみで、学界における存在と云ったら、まずその全部が、あの有名な八
前へ 次へ
全700ページ中15ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング