って現われたけれども、その時はまだ、検事の神経に深く触れたものはなく、法水が着換えに隣室へ立ったあいだ次の一冊を取り上げ、折った個所のある頁を開いた。それは、明治十九年二月九日発行の東京新誌第四一三号で、「当世|零保久礼博士《ちょぼくれはかせ》」と題した田島象二([#ここから割り注]酔多道士――「花柳事情」などの著者[#ここで割り注終わり])の戯文だった。
[#ここから1字下げ]
――扨《さて》もこの度|転沛逆手行《かんぽのかえり》、聞いてもくんねえ(と定句《きまりく》十数列の後に、次の漢文が插入されている)近来大山街道に見物客を引くは、神奈川県高座郡|葭苅《よしがり》の在に、竜宮の如き西洋城廓出現せるがためなり。そは長崎の大|分限《ぶげん》降矢木鯉吉の建造に係るものにして、いざその由来を説かん。先に鯉吉は、小島郷療養所において和蘭《オランダ》軍医メールデルホールトの指導をうけ、明治三年一家東京に移るや、渡独して、まずブラウンシュワイク普通医学校に学べり、その後|伯林《ベルリン》大学に転じて、研鑽八ヶ年の後二つの学位をうけ、本年初頭帰朝の予定となりしも、それに先きだち、二年前英人技師
前へ
次へ
全700ページ中13ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング