罪者ときている。カテリナは有名な近親殺害者で、おまけに聖《セント》バルテルミー斎日の虐殺を指導した発頭人なんだし、また娘の方は、毒のルクレチア・ボルジアから百年後に出現し、これは長剣の暗殺者と謳《うた》われたものだ。ところが、その十三世目になると、算哲という異様な人物が現われたのだよ」と法水は、さらにその本の末尾に挾んである、一葉の写真と外紙の切抜を取り出したが、検事は何度も時計を出し入れしながら、
「おかげで、天正遣欧使の事は大分明るくなったがね。しかし、四百年後に起った殺人事件と祖先の血との間に、いったいどういう関係があるのだね。なるほど不道徳という点では、史学も、法医学や遺伝学と共通してはいるが……」
「なるほど、とかく法律家は、詩に箇条を附けたがるからね」と法水は検事の皮肉に苦笑したが、「だが、例証がないこともないさ。シャルコーの随想の中には、ケルンで、兄が弟に祖先は悪竜を退治した聖ゲオルクだと戯談《じょうだん》を云ったばかりに、尼僧の蔭口をきいた下女をその弟が殺してしまった――という記録が載っている。また、フィリップ三世が巴里《パリー》中の癩患者を焚殺《ふんさつ》したという事蹟を聞いて、六代後の落魄したベルトランが、今度は花柳病者に同じ事をやろうとしたそうだ。それを、血系意識から起る帝王性妄想と、シャルコーが定義をつけているんだよ」と云って、眼で眼前のものを見よとばかりに、検事を促した。
 写真は、自殺記事に插入されたものらしい算哲博士で、胸衣《チョッキ》の一番下の釦《ぼたん》を隠すほどに長い白髯《はくぜん》を垂れ、魂の苦患《くげん》が心の底で燃え燻《くすぶ》っているかのような、憂鬱そうな顔付の老人であるが、検事の視線は、最初からもう一枚の外紙の方に奪われていた。それは、一八七二年六月四日発行の「マンチェスター郵報《クウリア》」紙で、日本医学生|聖《セント》リューク療養所より追放さる――という標題の下に、ヨーク駐在員発の小記事にすぎなかった。が、内容には、思わず眼を瞠《みは》らしむるものがあった。
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――ブラウンシュワイク普通医学校より受託の日本医学生降矢木鯉吉(算哲の前名)は、予《かね》てよりリチャード・バートン輩と交わりて注目を惹《ひ》ける折柄、エクセター教区監督を誹謗し、目下狂否の論争中なる、法術士ロナルド・クインシイと懇《ねんご》ろにせしため、本日原籍校に差し戻されたり。然《しか》るに、クインシイは不審にも巨額の金貨を所持し、それを追及されたる結果、彼の秘蔵に係わる、ブーレ手写のウイチグス呪法典、※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルデマール一世触療呪文集、希伯来《ヘブライ》語手写本|猶太秘釈義《ユダヤカバラ》法(神秘数理術《ゲマトリア》としてノタリク、テムラの諸法を含む)、ヘンリー・クラムメルの神霊手書法《ニューマトグラフィー》、編者不明の拉典《ラテン》語手写本|加勒底亜《カルデア》五芒星招妖術、並びに|栄光の手《ハンド・オブ・グローリー》(絞首人の掌《てのひら》を酢漬けにして乾燥したもの)を、降矢木に譲り渡したる旨を告白せり。
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 読み終った検事に、法水は亢奮《こうふん》した口調を投げた。
「すると、僕だけということになるね。これを手に入れたばかりに、算哲博士と古代呪法との因縁を知っているのは。いや、真実怖ろしい事なんだよ。もし、ウイチグス呪法書が黒死館のどこかに残されているとしたら、犯人の外に、もう一人僕等の敵がふえてしまうのだからね」
「そりゃまた何故だい。魔法本と降矢木にいったい何が?」
「ウイチグス呪法典はいわゆる技巧呪術《アート・マジック》で、今日の正確科学を、呪詛《じゅそ》と邪悪の衣で包んだものと云われているからだよ。元来ウイチグスという人は、亜剌比亜《アラブ》・希臘《ヘレニック》の科学を呼称したシルヴェスター二世十三使徒の一人なんだ。ところが、無謀にもその一派は羅馬《ローマ》教会に大啓蒙運動を起した。で、結局十二人は異端焚殺に逢ってしまったのだが、ウイチグスのみは秘かに遁《のが》れ、この大技巧呪術書を完成したと伝えられている。それが後年になって、ボッカネグロの築城術やヴォーバンの攻城法、また、デイやクロウサアの魔鏡術やカリオストロの煉金術、それに、ボッチゲルの磁器製造法からホーヘンハイムやグラハムの治療医学にまで素因をなしていると云われるのだから、驚くべきじゃないか。また、猶太秘釈義《ユダヤカバラ》法からは、四百二十の暗号がつくれると云うけれども、それ以外のものはいわゆる純正呪術であって、荒唐無稽もきわまった代物ばかりなんだ。だから支倉君、僕等が真実怖れていいのは、ウイチグス呪法典一つのみと云っていいのさ」
 はたして、この予測は後段に事実とな
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