フですわ。最初|地精《コボルト》の札を、私の机の中に入れて置いたばかりではございません。今日も、あの悪魔はまた私を択んで、人身御供《ひとみごくう》の三人の中に加えるんですもの」と背後に廻した両手で、竪琴《ハープ》の枠を固く握りしめ、それを激しく揺《ゆす》ぶった。「ねえ、法水さん、貴方は、クリヴォフ様が演奏壇のどこで刺されたか、また、どっちの側から転げ落ちたか――お知りになりたいのでしょう。けれども、ほんとうに私、何も知らないのです。ただ竪琴《ハープ》の枠を掴んで、凝然《じっ》と息を詰めていたのでございますから、ねえ旗太郎様、セレナ様、貴方がたは、たぶんそれを御存じでいらっしゃいましょう」
「いいえ、私がもしグイディオン([#ここから割り注]ドルイド呪教に現われた、暗視隠形に通じていたと云われる、大神秘僧[#ここで割り注終わり])でしたら、あるいは知っていたかもしれませんわ」とセレナ夫人は、戦《おのの》きの中に微かな皮肉を泛《うか》べた。すると、それに言葉を添えて、旗太郎が法水に云った。
「事実そうなんです。生憎《あいにく》僕等には、昆虫や盲者《めくら》が持ち合わせているほど、空間に対する感覚が正確でないのですよ。それに、なにしろ衣裳が同じなものですからね。伸子さんが燐寸《マッチ》を擦《す》って顔を照らすまでは、いったい誰が斃《たお》されたのか、それさえも明瞭《はっきり》していなかったというくらいで……。いやいっそ、何も聴えず、気動にも触れなかったと申しましょうか」と事件の局状《シチュエーション》が、法水等に不利なのを察したと見え、早くも、彼の瞳の中を、圧するような尊大なものが動いていった。「ところで法水さん、いったい本開閉器《メイン・スイッチ》を切ったのは、誰なんでしょうか。その鮮かな早代りで、一人二役を演《や》ってのけた悪魔というのは?」
「なに、悪魔ですって※[#感嘆符疑問符、1−8−78] いや、黒死館という祭壇を屋根にしている――人生そのものが、すでに悪魔的なんじゃありませんか」と眼前の早熟児を、薄気味悪いほど瞶《みつ》めながら、法水は最後の言葉を捉えた。「実は旗太郎さん、僕は旧派の捜査法を――つまり、人間の心細い感覚や記憶などに信憑《しんぴょう》を置くのを、聖骨と呼んで軽蔑しているのですよ。ところが、今日の事件では、殯室《モーチュアリー・ルーム》の聖パトリックを守護神にして、僕はドルイド呪僧と闘わねばならなくなったのです。貴方は、あの愛蘭土《アイルランド》の傑僧がデシル法――(註)に似た行列を行うと、それがドルイド呪僧を駆逐《くちく》して、アルマーの地が聖化されたという史実を御存じでしょうか」
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(註)ウエールスの悪魔教ドルイドの宗儀で、祭壇の周囲を太陽の運行と同様に、すなわち、左から右に廻る習俗。
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「デシル法※[#感嘆符疑問符、1−8−78] それを、どうしてまた貴方が……」と臆したように面《おもて》を曇らせたが、セレナ夫人は、そうした口の下から問い返した。「ですけど、聰明な聖パトリックは、布教の方便として、あの左から右へ廻る行列法を借りたのではございませんこと」
「さよう、それが今日の事件では、|もの云う表象《テル・テール・シムボル》――だったのです。しかし、呪術の表象《シムボル》を他に移すということは、呪僧それ自らを滅ぼすことなんですよ」と法水は、意地悪げな片笑を泛《うか》べて、陰性な威嚇《いかく》を罩《こ》めたような言葉を云い切った。ああ、|もの云う表象《テル・テール・シムボル》。――とは何であろうか。その解《ほぐ》れきれない霧のようなものは、妙に筋肉が硬ばり、血が凍りつくような空気を作ってしまった。ところが、そのうちセレナ夫人の眼が異様に瞬《またた》かれたかと思うと、最初法水を見、それから、伸子に憎々しげな一瞥《いちべつ》をくれたが、すぐにその視線は、壇下の一点に落ちて動かなくなってしまった。そこには、云いようのない不吉な署名があった。法水が、右から左へという|もの云う表象《テル・テール・シムボル》――ちょうどそれに当るものが、クリヴォフ夫人の背に現われていたのだ。その指差している手の形をした血の溜りが、あろうことか指頭の方向を、右方の壇上――すなわち伸子の位置に向けていたからである。のみならず、あるいは気のせいかは知らないけれども、なんとなくその形が、竪琴《ハープ》にも似ているように思われるのだった。一同は云いしれぬ恐ろしい力を感じて、しばらくその符号に釘づけされてしまった。やがて、伸子は竪琴《ハープ》に顔を隠して、肩を顫《ふる》わせ激しい息使いを始めたが、法水は、それなり訊問を打ち切ってしまった。三人が出て行ってしまうと、熊城は熱のあるような眼を法水に
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