うへき》まで続いている。その赭土褐砂《しゃどかっさ》の因をなしたというのは、建設当時移植したと云われる高緯度の植物が、またたく間に死滅してしまったからであった。けれども、正門までは手入れの行届いた自動車路が作られていて、破墻挺崩《はしょうていくず》しと云われる切り取り壁が出張った主楼の下には、薊《あざみ》と葡萄の葉文が鉄扉を作っていた。その日は前夜の凍雨の後をうけて、厚い層をなした雲が低く垂れ下り、それに、気圧の変調からでもあろうか、妙に人肌めいた生暖かさで、時折|微《かす》かに電光《いなずま》が瞬き、口小言《くちこごと》のような雷鳴が鈍く懶気《ものうげ》に轟《とどろ》いてくる。そういう暗澹たる空模様の中で、黒死館の巨大な二層楼は――わけても中央にある礼拝堂の尖塔や左右の塔櫓が、一|刷毛《はけ》刷いた薄墨色の中に塗抹《とまつ》されていて、全体が樹脂《やに》っぽい単色画《モノクローム》を作っていた。
法水《のりみず》は正門際で車を停めて、そこから前庭の中を歩きはじめた。壁廓の背後には、薔薇《ばら》を絡ませた低い赤格子の塀があって、その後が幾何学的な構図で配置された、ル・ノートル式の花苑《かえん》になっていた。花苑を縦横に貫いている散歩路の所々には、列柱式の小亭や水神やサイキあるいは滑稽な動物の像が置かれてあって、赤煉瓦を斜《はす》かいに並べた中央の大路を、碧《みどり》色の釉瓦《くすりがわら》で縁取りしている所は、いわゆる矢筈敷《ヘリング・ボーン》と云うのであろう。そして、本館は水松《いちい》の刈込垣で繞《めぐ》らされ、壁廓の四周《まわり》には、様々の動物の形や頭文字を籬状《まがきがた》に刈り込んだ、※[#「木+單」、第4水準2−15−50]《つげ》や糸杉の象徴《トピアリー》樹が並んでいた。なお、刈込垣の前方には、パルナス群像の噴泉があって、法水が近づくと、突如奇妙な音響を発して水煙《すいえん》を上げはじめた。
「支倉《はぜくら》君、これは驚駭噴泉《ウォーター・サープライズ》と云うのだよ。あの音も、また弾丸《たま》のように水を浴びせるのも、みんな水圧を利用しているのだ」と法水は飛沫《しぶき》を避けながら、何気なしに云ったけれども、検事はこのバロック風の弄技物から、なんとなく薄気味悪い予感を覚えずにはいられなかった。
それから法水は、刈込垣の前に立って本館を眺めはじめた。長い矩形に作られている本館の中央は、半円形に突出していて、左右に二条の張出間《アプス》があり、その部分の外壁だけは、薔薇色の小さな切石を膠泥《モルタル》で固め、九世紀風の粗朴な前羅馬様式《プレ・ロマネスク・スタイル》をなしていた。勿論その部分は礼拝堂に違いなかった。けれども、張出間《アプス》の窓には、薔薇形窓がアーチ形の格子の中に嵌《はま》っているのだし、中央の壁画にも、十二宮を描いた彩色硝子《ステインド・グラス》の円華《えんげ》窓のあるところを見ると、これ等様式の矛盾が、恐らく法水の興味を惹《ひ》いたことと思われた。しかし、それ以外の部分は、玄武岩の切石積で、窓は高さ十尺もあろうという二段|鎧扉《よろいど》になっていた。玄関は礼拝堂の左手にあって、もしその打戸環のついた大扉《おおと》の際《そば》に私服さえ見なかったならば、恐らく法水の夢のような考証癖は、いつまでも醒めなかったに違いない。けれども、その間《あいだ》でも、検事が絶えず法水の神経をピリピリ感じていたと云うのは、鐘楼らしい中央の高塔から始めて、奇妙な形の屋窓や煙突が林立している辺りから、左右の塔櫓にかけて、急峻な屋根をひとわたり観察した後に、その視線を下げて、今度は壁面に向けた顔を何度となく顎《あご》を上下させ、そういう態度を数回にわたって繰り返したからであって、その様子がなんとなく、算数的に比較検討しているもののように思われたからだった。はたせるかな、この予測は的中した。最初から死体を見ぬにもかかわらず、はや法水は、この館の雰囲気を摸索《まさぐ》ってその中から結晶のようなものを摘出していったのであった。
玄関の突当りが広間になっていて、そこに控えていた老人の召使《バトラー》が先に立ち、右手の大階段室に導いた。そこの床には、リラと暗紅色の七宝《しっぽう》模様が切嵌《モザイク》を作っていて、それと、天井に近い円廊を廻《めぐ》っている壁画との対照が、中間に無装飾の壁があるだけいっそう引き立って、まさに形容を絶した色彩を作っていた。馬蹄形に両肢を張った階段を上りきると、そこはいわゆる階段廊になっていて、そこから今来た上空に、もう一つ短い階段が伸び、階上に達している。階段廊の三方の壁には、壁面の遙か上方に、中央のガブリエル・マックス作「腑分図《ふわけず》」を挾んで、左手の壁にジェラール・ダビッドの「シサムネ
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