・シューズ》の方が、片方の上を踏んでいる跡が残っていた。したがって、套靴《オヴァ・シューズ》を付けた人物の来た時刻が、護謨《ゴム》製の長靴と思われる方と同時か、あるいはそれより以後である事は明らかなのである。続いて、法水の調査が造園倉庫にも及んだのは当然であるが、そのシャレイ風の小屋は床のない積木造りで、内部から扉《ドア》一つで本館に通じていた。そして、各種の園芸用具や害虫駆除の噴霧器などが、雑然と置かれてあった。法水は、本館に出入りする扉の側で、一足の長靴を見付けだした。それは先が喇叭《ラッパ》形に開いていて、腿《もも》の半分ぐらいまでも埋まってしまう、純護謨製《ピュアー・ラバー》の園芸靴だった。しかも、底に附着している泥の中で、砂金のように輝いているのが、乾板の微粒だったのである。のみならず、後刻になって、その園芸用の長靴は、川那部易介の所有品である事が判明した。
そうなってみると読者諸君は、この二様の靴跡に様々な疑問を覚えられるであろうが、ことに、ある一つの驚くべき矛盾に気づかれたことと思う。また、靴跡相互の時間的関係から推しても、夜半陰々たる刻限に、二人の人物によって何事が行われたのか――恐らくその片影すら、窺《うかが》うことは不可能であるに相違ない。云うまでもなく法水でさえも、原型を回復することは勿論のこと、この紛乱錯綜した謎の華《はな》には、疑義を挾む一言半句さえ述べる余地はなかったのである。しかし法水は、心中何事か閃《ひらめ》いたものがあったとみえて、鑑識課員に靴跡の造型を命じた後に、次項どおりの調査を私服に依頼した。
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一、附近の枯芝は何時《いつ》頃焼いたか?
一、裏庭側全部の鎧扉に附着している氷柱《つらら》の調査。
一、夜番について、裏庭における昨夜十一時半以後の状況聴取。
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それからほどなく、闇の中を点のような赭《あか》い灯が動いていったと云うのは、法水等が網龕灯《あみがんどう》を借りて、野菜園の後方にある墓地に赴《おもむ》いたからだった。その頃は雪が本降りになっていて、烈風は櫓楼を簫《しょう》のように唸《うな》らせ、それが旋風《つむじ》と巻いて吹き下してくると、いったん地面に叩き付けられた雪片が再び舞い上ってきて、たださえ仄《ほの》暗い灯の行手を遮るのだった。やがて、凄愴《せいそう》な自然力に戦《おのの》いている橡《とち》の樹林が現われ、その間に、二本の棺駐門の柱が見えた。そこまで来ると、頭上の格の中から、歯ぎしりのような鐘を吊した鐶《かん》の軋《きし》りが聞え、振動のない鐘を叩く錘舌《クラッパー》の音が、狂った鳥のような陰惨な叫声を発している。墓地はそこから始まっていて、小砂利道の突当りが、ディグスビイの設計した墓※[#「穴かんむり/石」、169−18]《ぼこう》だった。
墓※[#「穴かんむり/石」、170−1]の周囲は、約翰《ヨハネ》と鷲、路加《ルカ》と有翼|犢《こうし》と云うような、十二師徒の鳥獣を冠彫《かしらぼり》にした鉄柵に囲まれ、その中央には、巨大な石棺としか思われない葬龕《カタファルコ》が横たわっていた。さて、ここで墓柵の内部を詳述しなければならない。だいたいにおいて、聖《サン》ガール寺院([#ここから割り注]瑞西(スイス)コンスタンス湖畔に六世紀頃愛蘭土(アイルランド)僧の建設したる寺院[#ここで割り注終わり])や、南ウエイルズのペンブローク寺《アベイ》などにも現に残存している、露地式|葬龕《カタファルコ》を模したものであったが、それには、いちじるしい異色が現われていた。と云うのは、墓地樹として、典型的な、ななかまど[#「ななかまど」に傍点]や枇杷《びわ》の類《たぐい》がなく、無花果《いちじく》・糸杉・胡桃《くるみ》・合歓樹《ねむのき》・桃葉珊瑚《あおき》・巴旦杏《はたんきょう》・水蝋木犀《いぼたのき》の七本が、別図のような位置で配置されていた。またそれ等の樹木に取り囲まれた中央の葬龕《カタファルコ》は、ウムブリヤの泣儒《なきおとこ》を浮彫《うきぼり》にした薬研石《やげんいし》の台座まではともかくとして、その上に載せられた白大理石の棺蓋《かんおおい》になると、はじめて異様な構想が現われてくるのだった。伝統的な儀習としては、その上が、紋章あるいは人像か単純な十字架が通例だが、それには、音楽を伝統とする降矢木の標章としての三角琴《プサルテリウム》が筋彫《すじぼり》にされ、その上に、鍛鉄製の希臘《ギリシャ》十字架と磔刑耶蘇《はりつけやそ》が載せられてあった。しかも、その耶蘇もまた異形《いぎょう》なもので、首をやや左に傾けて、両手の指を逆に反《そ》らせて上向きに捻《ねじ》り上げ、そろえた足尖《つまさき》を、さも苦痛を耐《こら》えているかのよう、内
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