すでに第二の事件を敢行しているのだ。
[#殺人現場の図(fig1317_07.png)入る]
法水は、すぐ円廊の扉を開いて光線を入れてから、左側に立ち並んでいる吊具足の列を見渡しはじめた。が、すぐに「これだ」と云って、中央の一つを指差した。その一つは、萌黄匂《もえぎにおい》の鎧《よろい》で、それに鍬形《くわがた》五枚立の兜《かぶと》を載せたほか、毘沙門篠《びしゃもんしの》の両|籠罩《こて》、小袴《こばかま》、脛当《すねあて》、鞠沓《まりぐつ》までもつけた本格の武者装束。面部から咽喉にかけての所は、咽輪《のどわ》と黒漆《くろぬり》の猛悪な相をした面当《めんぼう》で隠されてあった。そして、背には、軍配|日月《じつげつ》の中央に南無日輪摩利支天《なむにちりんまりしてん》と認《したた》めた母衣《ほろ》を負い、その脇に竜虎の旗差物《はたさしもの》が挾んであった。しかし、その一列のうちに注目すべき現象が現われていたと云うのは、その萌黄匂を中心にして、左右の全部が等しく斜めに向いているばかりでなく、その横向きになった方向が、交互《かわるがわる》一つ置きに一致していて、つまり、右、左、右という風に、異様な符合が現われている事だった。法水がその面当《めんぼう》を外すと、そこに易介の凄惨な死相が現われた。はたせるかな、法水の非凡な透視は適中していたのだ。のみならず、ダンネベルグ夫人の屍光と代り合って、この侏儒《こびと》の傴僂《せむし》は奇怪千万にも、甲冑を着し宙吊りになって殺されている。ああ、ここにもまた、犯人の絢爛《けんらん》たる装飾癖が現われているのだった。
最初眼についたのは、咽喉につけられている二条の切創《きりきず》だった。それを詳しく云うと、合わせた形がちょうど二の字形をしていて、その位置は、甲状軟骨から胸骨にかけての、いわゆる前頸部であったが、創形が楔形《くさびがた》をしているので、鎧通し様のものと推断された。また、深さを連ねた形状が、※[#「凵」のような形(fig1317_08.png)、119−1]形をしているのも奇様である。上のものは、最初気管の左を、六センチほどの深さに刺してから刀《とう》を浮かし、今度は横に浅い切創《せっそう》を入れて迂廻してゆき、右側にくると、再びそこヘグイと刺し込んで刀を引き抜いている。下の一つもだいたい同じ形だが、その方向だけは斜め下になっていて、創底は胸腔内に入っていた。しかし、いずれも大血管や臓器には触れていず、しかも、巧みに気道を避けているので、勿論即死を起す程度のものではないことは明らかだった。
それから、天井と鎧の綿貫《わたぬき》とを結んでいる二条の麻紐を切り、死体を鎧から取り外しに掛ると、続いて異様なものが現われた。それまでは、不自然な部分が咽輪《のどわ》の垂《たれ》で隠されていたので判らなかったのだが、不思議な事に、易介は鎧を横に着ているのだった。すなわち、身体を入れる左脇の引合口の方を背後にして、そこからはみ出した背中の瘤起《りゅうき》を、幌骨《ほろぼね》の刳形《くりがた》の中に入れてある。そして、傷口から流れ出たドス黒い血は、小袴から鞠沓《まりぐつ》の中にまで滴り落ちていて、すでに体温は去り、硬直は下顎骨に始まっていて、優に死後二時間は経過しているものと思われた。が、死体を引き出してみると、愕然《がくぜん》とさせたものがあった。と云うのは、全身にわたり著明な窒息徴候が現われている事で、無残な痙攣《けいれん》の跡が到る処にゆきわたっているばかりではなく、両眼にも、排泄物にも、流血の色にも、まざまざと一目で頷《うなず》けるものが残されていた。のみならず、その相貌は実に無残をきわめ、死闘時の激しい苦痛と懊悩《おうのう》とが窺われるのだった。が、しかし、気管中にも栓塞《せんそく》したらしい物質は発見されず、口腔を閉息した形跡もないばかりか、索痕《さっこん》や扼殺《やくさつ》した痕跡は勿論見出されなかった。
「まさにラザレフ([#ここから割り注]聖アレキセイ寺院の死者[#ここで割り注終わり])の再現じゃないか」と、法水は呻《うめ》くような声を出した。「この傷は死後に付けられているんだよ。それが、刀《とう》を引き抜いた断面を見ても判るんだ。通例では、刺し込んだ途端に引き抜くと、血管の断面が収縮してしまうもんだが、これはダラリと咨開《しかい》している。それに、これほど顕著な特徴をもった、窒息死体を見たことはないよ。残忍冷酷もきわまっている。――恐らく、想像を絶した怖ろしい方法に違いない。そして、窒息の原因をなしたものが、易介には徐々《だんだん》と迫っていったのだ」
「それが、どうして判るんだ?」と熊城が不審な顔をすると、法水はその陰惨きわまる内容を明らかにした。
「つまり、死闘の時間が徴候の度
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