相も、一つの事務的な整理に過ぎなかったのであった。
「所が、それが線香花火なんだよ。厨川君は、薬師仏の背後の壇上にある聖観音の首に、鏡を稍《やや》下向きに掛けて置き、薬師三尊の中の月光像の背後で、線香花火を燃やしたのだ。すると勿論その松葉火が鏡に映る訳だが、それを胎龍の座所から見ると、護摩の烟で拡大されて、恰度薬師仏の頭上で後光が閃いた様に見えたのだよ。と同時に、強烈な精神凝集《コンセントレーション》が起ると云う事は、心理学上当然な推移に違いないのだ。今に兜率天から劫火が下って薬師如来の断罪があるだろう――とそう云う疑念を、鋭敏な膜の様に一枚残しただけで、胎龍の精神作用を司どる瀕死の生体組織《オルガニズム》共が、一斉に作業を停止してしまったのだ。そうして、此の状態は、低い絶え絶えな経声と共に、恐らく数十秒の間続いた事だろう。その間に、厨川君は背後の物蔭に廻って、辛うじて聴き取れる経文の唱句をじいっと耳膜で数えながら、最後の――殺人具を最も効果的にする――或る一節に達するのを待ち構えていた。云う迄もなく、その時胎龍が唱えていた『秘密三昧即仏念誦』――それは、厨川君が平素から熟知していた。
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