の室の時計が二分|遅《おく》んでいたのを憶えているだろう。そして、あの様に重い沈んだ音を出す時計と云うのが、寺には一つもないのだからね」
 然し、法水のどんより充血した眼を見ると、夜を徹した思索が如何に凄烈を極めていたか――想像されるのだが、そうして熊城の話を聴き終ると、その眼が俄かに爛々たる光を帯びて来た。
「そうかい。すると、遂々劫楽寺事件の終篇を書ける訳だな。実は、朔郎に不在証明《アリバイ》が出るのを待っていたのだよ。ああ、それを聴いたら急に眠くなって来た。済まないが熊城君、今日は此れで帰ってくれ給え」
 その翌日だった。法水は開演を数日後に控えている、鰕十郎座の舞台裏に姿を現わした。午前中の奈落は人影も疎らで厨川朔郎は白い画室衣を着て、余念なく絵筆を動かしている。その肩口をポンと叩いて、
「やあ、お芽出度う。時に厨川君、君は昨日柱時計を修繕したのかい?」
「何んです? 僕には一向に呑み込めませんがね」朔郎は怪訝な面持で云った。
「でも、あの日から君の時計の時鳴装置が、どんな時刻にも、一つしか打たなくなった筈だがね。それが、今日君の留守中行ってみると、何時の間にか普通の状態に戻っ
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