の事で、僕を犯人に擬すると云う始末ですからね。それに、鏨と云われて探してみると、もう一本あったのが何時の間にか紛失しているのですが、それをどんなに述べ立てても、僕を少しも信用してくれないのですからね。では、昨夜の行動を申上げましょうか」と云って、――四時に学校から戻って、それから室でゴーガンの伝記を読んでいて、七時に夕食に呼ばれ、九時頃蒟蒻閻魔の縁日に出掛けて十時過ぎに帰宅したと云う旨を、要領よく述べ立てた。その堂々たる弁説《エロキューション》と容疑者とは思われぬ明朗さには、一同の度胆を抜くものがあった。
 その間法水は外方《そっぽ》を向いて、この室の異様な装飾を眺めていた。今入った板戸の上の長押には、土蜘蛛に扮した梅幸の大羽子板が掲っていて、振り上げた押絵の右手からは、十本程の銀色の蜘蛛糸が斜に扇形となって拡がって行き、末端を横手の円い柱時計の下にある、格子窓の裾に結び付けてあった。
「ハハァ、鉄輪の俥があった頃の趣味だね」と法水は初めて朔郎に声を掛けた。
「ええ、奥さんと云う方は、古風な大店の御新造《ごしんぞ》さんと云った型《タイプ》の人ですからね。それに、これは去年の暮私が頼まれ
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