らである。
しかし、不思議な事には、検事の時計も、熊城のも、指針がまだ九時には達していなかった。そして、今がかっきり八時五十分だとすると、その時計が九時を指している頃は、ほぼ八時三十分頃ではなかっただろうか。更に、その時計を進ませたと云うのには、何か幡江の追及を阻《こば》む意外[#「意外」はママ]にも、意味があるのではないだろうか――などと考えて来ると、法水の頭の中が急にモヤモヤとして来た。
が、思い付いたように、化粧鏡の抽斗《ひきだし》から何やら取り出して、その品を卓上に載せた。けれども、その口からは、意外な言葉が吐かれて往ったのである。
「幡江さん、僕はこの品一つで、一人の男の心動を聴き、呼吸の香りを嗅ぐ事が出来ました。とうにこの通り、貴女のお父さんから、消息を貰っているのですよ」
そう云って、突き出したのは、洒落れた婦人用の角封だった。が、内容を読み終ると、同時に三人は、呆気にとられた眼で法水を見上げた。
それは、韻律を無視した英詩で記されたところの、次のファン・レターに過ぎなかったのである。
In his costumes he recites
The
前へ
次へ
全66ページ中20ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
小栗 虫太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング