からきた料理人の手にかけて、十数種類の支那料理にこしらえ、さまざまに試食したことがあったけれど、その折りのおいしさもさることながら、老妻の手にかけた月の輪熊の醤《しょう》は格別である。
月の輪熊は、日本特有の種類である。本州の深山に棲んでいて体は肥満し、体の長さは二メートル近くにまで育つのがある。尾は短く、前肢も後肢も短い。そして、太い。五本の指にいずれも黒い長い爪を持っていて、それがなかなか有力だ。毛色は真っ黒で、胸に月輪形の大きな白斑を有している。巧みに樹上によぢのぼることができるけれど、ほかの獣類のように跳躍する術を知らないのは妙だ。
食いものは雑食性で、動物でも植物でも食う。冬になると自分で掘るか、または自然にできた崖下などの穴に入って冬眠し、毎年五月頃子を産むのである。秋、落葉の頃子供をつれて餌漁りに出た熊は、人間を襲うことがあるから、ご用心。
先年、私は渓流魚釣りにでかけて、奥利根楢俣沢の奥と浅間高原六里ヶ原の赤川の水源近くで、野性の熊に出っくわし、胆を潰して命からがら逃げたことがある。楢俣沢の奴は、子供を連れて渓流の沢蟹を掘って食べているところを、二、三十間離れた崖
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