十五万の将兵を率いて小田原の北条を攻めたのは、天正十八年である。そのとき、これに呼応して北陸の上杉景勝、前田利家が相携えて大兵を進め、信州から碓氷《うすい》峠を越えて上州へ攻め入った。まず松井田の城を攻め、城主大道寺政繁は坂本にこれを防いだけれど、衆寡敵わず敗走、ついにその先導となって上杉前田勢に加わったのである。それより進んで大軍は厩橋、沼田、松山、箕輪、河越の諸城を次々に陥《おとしい》れ、最後に鉢形城を囲んだのである。
 上杉と前田が、厩橋城を攻めたのは天正十八年の猛春四月である。朧夜に、寄せ手は忽ち厩橋城の城壁に迫り、鬨の声をあげて城門を突破しようとする危急の場合、予想もしなかった新手の大軍が、城内から石垣の上へ現われた。そしてこの数千の大軍は、寄せ手を目がけて大小の石塊を無数に投げつけて、雨か霰のようである。さしもの寄せ手も、この不意の乱撃に堪らず、たじろいて度を失い、勢いを崩して退いたのである。
 すると、今まで雲霞の如く城壁にいた大軍は、掻き消すように見えなくなった。そこで、再び寄せ手は引き返した。と、またもや数千の大軍が城壁に現われて、石塊を飛ばす。寄せ手は今回も退却する
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