合流点から上流へ、鮎は安心して遡上し得るものでなかった。合流点と堰堤までの間には、南雲沢を頭として各所に細い自然湧水があるけれど、これは僅かに二、三百個に過ぎない。昔の水量に比べると、十分の一にも足りないのだ。
 こんなふうでは、鮎は利根川への生活をあきらめるより外に術はない。
 こんな結果に陥ることを予期して、利根漁業組合では、堰堤が竣成した年から、琵琶《びわ》湖産の稚鮎を買い入れて、上流へも下流へも放流したのである。だが、あの大きな川へ僅かばかりの鮎を放流したところで、地球上に散在する金剛石のようなもので寥《りょう》々としている。
 近年も、相変わらず放流鮎を続けているが、それは十五万尾か二十万尾にしか過ぎない。それも、十五、六里にわたる範囲に放流するのであるから、釣れたとてほんの短い期間である。そこで利根川筋の釣り人は、鮎を求め上越線を利用し、こぞって越後国の魚野川の方へ遠征する次第になったのだ。
 大正十三年に、岩本の名人茂市は七、八の二ヵ月で売上七百五十円の鮎を釣った。最近ならば、大したことはないが、当時の七百五十円といえば、莫大な額だ。田地を、二反五畝も買えたのである。鮎を
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