ったか知れない。後閑地先へ足を止めたとき、鮎は頑健そのものになっている。身の上八、九寸、四、五十匁から百匁近くまで育っている。そして、野鯉のように細身で、筒胴の姿である。胴が筒と同じに細くなっていなければ、滝なす潺湍《せんたん》は乗り切れない。
 肉がしまっている。香気が高い、背の色が濃藍だ。敏捷であるのと、体力的であるのと、闘争心の強いのと、強引であるのとは、あたかも密林に住む虎か豹にたとえられよう。
 掛かった。釣り人は、まず足許に注意せねばならない。でないと、踏んだ石の水垢に辷《すべ》ってでんぐり返る。囮鮎も、掛かり鮎も、竿もめちゃくちゃだ。足の速力が、鮎の逸走の速力に伴わねば、道糸を切られてしまうのである。釣り人は、まるで夢中だ。下流へ走りに走って、ようやく手網へ抜き取ったあとでも、しばらく心臓の鼓動はやまない。そして、この辺は水源に近く雪橋から滴り落ちる水も、長い時間太陽の恵みを得ていないから、温度が低いのである。土用の最中でも、水へ立ち込むと、ひやりとする。だから、鮎が丈夫なのだ。
 月夜野橋から上流には西海子《さいかち》前、長どぶ、病院裏、地獄などの釣り場があるが、地獄の滝も凄寒《そうかん》を催す眺めである。
 水上温泉から二里下流の小松に、東電の発電所が竣成したのは、随分古い昔である。小松に発電所ができてからは、天然鮎ではその放水路まで達するのが、最も長い旅を続けたことになる。
 私は、月夜野橋の下流の瀬が、竜宮の崖に突き当たった落ち込みで、百匁以上の鮎を釣ったことがある。ついに取るには取ったが、私はその鮎と囮鮎を入れてしまうと、河原に尻餅をついて長い間、溜め息を吐いていた。
 後閑の対岸で、本流へ合するのは、谷川の渓水を集めて下りきたった赤谷川である。赤谷川は、水温が割合に高いために、後閑まで旅してきた本流の鮎は、この支流へは、遡上しなかった。
 赤谷川は、下流から中流へかけては、山女魚《やまめ》専門の川である。上流の谷川岳の麓まで分け入れば、岩魚《いわな》ばかりであるが、近年奥利根地方は、温泉郷が賑やかになったために、渓流魚に値打ちが出てきたので、職業釣り人は腕によりをかけて釣るようになった。そんな次第で赤谷川の渓流魚は、四月一杯くらいで殆ど釣り絶やされてしまう。

   四

 大きな姿と、味の立派であることでは日本一の鮎を育てる利根川。旅の釣
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