になっていた。
しかし、それでも二人は帰ってこなかった。どうしたのであろう。
私は、湯屋から三円あまりの手間賃を貰ってから、いろいろの掃除道具をリヤカーに積んで親爺の家へ帰った。だが、二人は親爺の家へも帰っていない。
四
私は親爺に一部始終を語った。
「そうか、ご苦労だった。あいつらはほんとうは碌でもねえ野郎共なんだ。ずらかったんだ」
親爺は低い声で呟いた。
湯屋から貰ってきた手間賃を渡すと、親爺は分を引いた残りの二円あまりの金を私にくれたのである。三人で一日働いたのであるならば一人前七、八十銭にしかならぬのであろうが、私は三人分を一人で貰ったのだ。
私は、黄昏《たそがれ》の道を家へ向かって歩いた。なににしても二円あまりの金を懐中したことは近来に珍しい。まことに、ありがたい次第である。おかげさまで、この金があれば米も買える。久し振りで味噌汁も味わえよう。子供に、塩鰯の一尾ずつも振舞えようか。私は、妻や子が喜ぶ顔を眼の底に浮かべて、いそいそと寒風の吹く街はずれを歩いた。
街はずれに、泡盛屋があった。表障子に一杯十銭と書いてあるのが、眼に映った。私は、いままで親爺の家へ行き帰りに、一杯十銭の文字を何度怨めしく眺めたことであろう。私は、懐ろにある二円あまりの金をしっかり握って往来に立ち、頭がふらふらとしたのである。
――幾月振りだ、一、二杯は天の神さまも許してくれるだろう――
思いきって、泡盛屋の腰高障子をあけた。三杯ばかり、立てつづけに呷《あお》った。酒精の熱気が五臓六脇へ泌みわたる。咽が快く鳴って、食道を烈液が流れさる爽美の感は、これをなにに譬《たと》えよう。いままでの苦しみも悩みも、貧の脅迫感もこの小さな洋盃二、三杯で、跡形もなく拭い去られた。
――白雲飛び去り、青山ありだ――
ああ、甘露かんろ。だが、もう一杯ぐらいは二円あまりの金に対して大した影響はないであろう。それから、がんもどきのおでんを一皿食べたところで、これも大なる負担ではあるまい。もう一杯、もう一杯。
ぶるぶると、寒さに眼がさめてあたりを顧みると、私は家へ帰る途中の田圃の麦の畦の間に寝ていたのである。早暁である。東の空に、淡紅の雲が棚引いている。
――しまった――
しかし、もう遅い。
蟇口のなかの金は、悉く呑み尽くしてあった。昨日の朝、家を出るときに米櫃が空であるの
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