ける必要はないのである。鈎合わせは素早い方がよろしい。
去年、磐城国の鮫川の上流へ注ぐ、一本の渓流へ山女魚釣りに行った。ここは、あまり都会人の注目せぬ場所であったから、行くたびに数多く釣れたのであったが、そのときはいつの間にか荒らされていたと見えて、極めて成績不良であった。そこで、私は試みにこんなことをやってみた。イクラのひと抓《つま》みを、口にふくんでそれを唾液でよくぬらし、それをぱっぱっと渓流の落ち込みへ吐いた。つまり、寄せ餌にするつもりであったのである。
そこで、ゆっくり一服喫ってから、鈎先にイクラを一粒つけて鈎を振り込んだところ、すぐ掛かった。続いて掛かった。同じ落ち込みで十尾近くの大きな山女魚を釣った。たぶん下流からイクラを慕って、この落ち込みへ集まってきたものと見える。それからさらに上流へ上流へと、寄せ餌を撒いていって、思わぬ大漁をしたことがあった。
だが、元来私は寄せ餌までして、魚を釣るのを好まぬのに気がついて、なんとなく面目ないような気持ちを催したのである。
底本:「垢石釣り随筆」つり人ノベルズ、つり人社
1992(平成4)年9月10日第1刷発行
底
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