寒流に乗って北洋から回遊してきた。そして、太平洋側では北海道の諸川、陸中の閉伊川、北上川。陸中の阿武隈川。磐城《いわき》の夏井川や鮫川。常陸国《ひたちのくに》の久慈川に、那珂川などへ、早春の三月中旬頃、すでに河口めがけて遡《さかのぼ》ってくるのである。利根川も、同じことであった。
 だが、利根川は太平洋では、天然鱒の遡り込む西のはずれの川である。つまり、最後の川である。それは、寒流が銚子地先で遠く太平洋の沖合はるかに流れだしてしまい、房総半島方面には冷たい潮が赴かぬため、温かい潮を好まぬ鱒はそれを避けて沖合に泳いでいくからである。
 従って、昔から房総半島から西で、太平洋へ注ぐ川では、鱒の姿を見ないのだ。
 こんな歴史のある利根川へ、いまは天然鱒の姿を見ないのは、なさけないことだ。
 話は前に戻って、天然鱒が渓流で産卵をはじめると、その産卵場の下流へ、たくさんの山女魚やはや[#「はや」に傍点]が集まってくる。それは、鱒が産卵するとき、卵がこぼれて流れてくるのを待っているのである。鱒は産卵が終わると、雄は放精しておいて、卵に砂をかけ外敵に荒らされぬように防ぐのであるが、鱒の親が去ると山女
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