尖端を魅するにも拘わらず、卵の味は鯰の卵に劣らぬほどである。似鯉《にごい》の卵の味と好一対であろう。
私は、こんど故郷へ帰ってから、殆ど毎日の位、鰍の鮮饌に親しんでいる。友人に、鰍捕りの名人がいて、利根の急流から漁ってきたものを数多く贈ってくれるからだ。
膾《なます》が、甚だ結構だ。なるべく大形のものを選び、皮と頭と背骨と腸を去り、肉を薄くそいで水で洗い、これを酢味噌で頂戴すると、舌の付け根に痙攣でも起きるのではないかという感を催す。
一両日焼き枯らして置いた味噌田楽も素敵だ。天ぷらもよい。飴だきに作れば一層結構だ。一盃過ごせよう。
なんと慈愛に富んだ利根川であろう。われらに、尽くることなき佳饌を贈ってくれるではないか。
上州人の、ほんの一部にしか知られていないものに、鮭の子の珍味がある。私は子供の頃、鮭といえばあの塩辛い、塩引きばかりと思っていたのに、わが上州にも鮭の子が生まれるのであるから驚いた。
鮭は、上州で生まれて海へ行き、北洋の寒い水に育って親となり、五、六年後には銚子口から利根川へ遡ってくるのである。それは八月下旬から九月上旬へかけて、鹹水《かんすい》に別れ淡水
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