ら、さらに酒田港へ海釣りの見物に行った。土地の人々の話によると、酒田の町にはいま二、三千人の釣り客がいるそうだ。しかし、酒田に釣りが盛んになったのは、今はじまってのことではない。遠く幕末の頃から、鶴岡の酒井藩の風を学んで町民が競って竿を担ぐようになったのであるという。まことに、興深い話である。
酒田港は、出羽の名川最上川の河口にある。遠く海に突きだした突堤が、二、三千メートルもあろうか。その突堤の上に、夜となく昼となくいつも二、三百人の釣り客が竿と糸とを操っている。これから次第に秋深み、黒鯛の当歳子と鯔《ぼら》の釣季に入れば、銀座の石畳の道を彷彿とさせて壮観であるそうだ。千人にも余る釣り人が幅狭い堤上を右往左往して随所に竿と糸が乱れ争い、その雑踏は身動きもならぬほどであるという話であった。
ちょうど、私が堤防の突端まで行った日は、釣りものの少ない季節であった。僅かに小型の縞鯛、小けいづ、さより、沙魚《はぜ》などばかり釣れるもので、釣り人はいずれも竿を投げうち、腕を拱《こまね》いて不漁を歎じていた。
河口の風景は素晴らしい。沖の飛島は、低い空を行く雲に遮られて見えなかったが、北の空
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