かして池の水を濁している。
 それは私が小学校へ入学して間もない時であったから、七、八歳の頃であったにちがいない。私はそんな小さい時から、父のお供をして若鮎釣りに使う餌採りの相手をさせられた。海から下総の銚子の利根の河口へ入って、長い旅を上州の前橋近くまで続けてくる若鮎の群れは、のぼる途々、淡水にすむ小蝦を好んで餌にするのである。だから、その頃まだ加賀国や土佐国で巻く精巧な毛鈎《けばり》が移入されなかった奥利根川の釣り人は、播州鈎や京都鈎に藻蝦の肉を絞り出し、餌としてつけたのであった。
 若鮎の群れは、鈎先につけた蝦の肉を見ると、競い寄って食った。鈎の種類など選ぶ必要はないほど、数多い鮎が下流から遡《のぼ》ってきたのである。
 竿は、薮から伐り出したばかりの竹でもよく、場合によれば桑の棒でもこと足りた。近年のことを想えば嘘のように釣れた。
 朝の飯を食べると、私はちょこちょこと父の後にしたがった。前橋から下流一里ばかりの上新田の利根河原へ行ったのである。
 父は、三十歳前後の、勘《かん》のいい盛りであったのだろう。私は、河原の玉石の上へ腰をおろして、竿さばき鮮やかな父を眺めた。いまから
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