都の何とかいう人たちがドヤドヤと入ってきて席を取る。間もなく幕が上がると、吉備舞《きびまい》が始まった。君が代、梓弓、神路山の三番が続けて舞われる。曲は何れもおとなしいもので、かつ楽手が皆芸人らしくない所が気持ちが良い。葭本幾野という歌手の声は、まるで場内から溢れ出すように透った良い喉なので聴衆は皆感嘆する。『佳い声だね、佳い声だね』とあちこちで言われる。
『長唄をやらしたら良いだろうね』と朝日の老人が黄色い声で言う。
『フーン』と桃水君が答える。
 歌曲をじっと聞いていると悲壮な心持ちになる。舞はこれと反対に頗《すこぶ》る優雅だ。この悲壮と優雅との調和してゆくところに面白味がある。梓弓と神路山が良かった。殊に神路山の「上り下り」のところの舞は人を神代の夢に誘ってゆき、思わず恍惚とさせる。それに舞子は何れも十歳から十四、五歳くらいまでの少女なので可愛らしい。
 楽長という人は鉄縁眼鏡をかけた、眼のギョロッとした人で、楽器を休めている時は、いつも四辺を気にしていた。
 次の序遊の一中節。あの禿げた頭を前の方へ伸べて平たく座って見台を眺めたところを見ると吉備舞と異なって急に芸人臭い感じがし
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