父子も田んぼの畔まで母に送られて家を出て、利根川の崖下まで行ったのである。
 父は二間半の竿を巧みに使った。私は、軽い二間半で道糸に水鳥の白羽を目印につけ、暁の色を映しゆく瀬脇の水の面《おもて》を脈《みゃく》釣りで流した。
 少年の私にも、忙しいほど釣れたのをみると、その頃の利根川には、ずいぶん[#「ずいぶん」は底本では「ずんぶん」]数多くのはや[#「はや」に傍点]がいたのであろう。二、三時間で、魚籠《びく》は一杯になった。魚籠の中で、バタバタと跳ねる魚の響きが、腰に結《ゆわ》えた紐から身体に伝わってきて、何とも快かった。
 腹がすいてきた。
『もう、帰ろう』
 父は、にこにこしながら私を顧みて言った。もう朝の陽《ひ》は一ひろほども空へ昇っていた。晩春の朝の微風が、砂丘の小草の若葉を撫でながら渡ってきて、糸の目印の羽毛をひらひらと動かす。
 みぎわの小石には、微かにかげろうが揺れはじめていた。
 私は父の言葉に心で応《こた》えて、口では答えなかった。それほど魚の当たりが忙しい。いまの目印の動きは、魚の当たりか、風の煽《あお》りか、その判断に固唾《かたず》をのんでいる時に『帰ろう』と言う
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