船に乗り、室戸岬の鼻を船がまわる頃は、もう太陽が太平洋の波の上へ昇っていた。私は、明治四十五年の初冬、悲しい運命の旅にこの船路を選び、同じ景色を同じ朝の時間に、この船の窓から眺めたが、陸の彩も海の色も、眼に映るいろいろが、心と共に暗かった。
 しかし今度は、既に中等学校の上級生になった伜を伴った楽しい旅である。見るもの、感ずるもの、悉《ことごと》くが明るい。船の窓から見る名勝室戸岬の風景も、三十数年前の昔とは、まるで趣が異なる。殊に立秋後の澄んだ明るい空気を透して、朝靄が岬の波打ち際に白く、またそして淡紅に輝き、南へ南へと続く漁村と松原が、あしたの薄い靄にぬくもっているではないか。
 海雀の群れが、波間に隠見する。かもめが舞う。岬の突端を彩る深緑の樹林は、山稜を伝って次第に高く行くにつれ、果ては黒く山の地肌を染めて、最後には峰の雲に溶け込んでいる。遠い山腹に、金色に輝く一点がある。その一点から発する光線は、稲妻に似て強くまぶしく眼を射るのである。あれは、山村の物持ちの家の縁側の硝子障子に、朝陽が反射するのであろうか。
 なんと静かな、親しみ深い風景であろう。南国の眺めは、旅心に清麗《せ
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