であった。みゑ子が手離しで歩きだしたと言って笑い、転んだと言っては騒ぎ、家のなかはいつも薫風《くんぷう》瑞雲《ずいうん》が漂った。
みゑ子は、風邪《かぜ》一つひかないですくすくと育った。月日は夢の間に流れて、三歳の春を迎え、みゑ子は片言まじりに歌などうたった。
話はさきに戻るが、みゑ子が京都で産まれたころ、故郷では私の若い弟に嫁を迎えた。それは私が長い間、故郷を離れて諸方を巡歴しているために、家の業である農のことがなげやりになっている。それでは祖先に申し訳ないという父の意見で、若い弟に嫁を迎えて足止めし、それに農のことを担当させようとしたのである。
弟は嫁を迎えると、一年たつかたたぬうちに子供をこしらえた。しかし、弟は病身であった。産まれた子供が数え年二歳――生後六、七ヵ月のころ弟はとうとう病死した。これは、みゑ子が三歳の春を迎えたときであった。
私の故郷では、弟の遺児を誰が育てるかということと、若い未亡人の処置とが人々の頭を悩ました。子供は、佐藤家の子供であるからこれは大して問題でないにしても、まだ二十歳を出たか出ない未亡人の前途は、甚だ長い。このまま、婚家へ止めて置いて一生
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