ぐ、私の長女として故郷の村役場へ出産届けをだした。私の祖母に八十六歳まで長寿を保った人があったので、それにあやかるためその名を頂戴して、みゑ子と名付けたのである。
 人々の意見で、藁の上から引き取るということは、やめた方がいいとなった。つまり、私の家内ははじめて子持ちになることであり育児には経験がないのであるから、乳離れするまでは京都へ預けておく方がよろしいというのである。老父も妹も、私のところへ喜びの手紙をよこした。
 産まれて一年ばかりたったとき、堪らなくなって私と家内は連れ立って京都へ行った。みゑ子は肥って可愛い。そして割合にわせの児で、もう障子の棧につかまって、座敷を横歩きに歩いていた。乳を離しても、差し支えあるまいということは誰にも分かる。私らと姉と三人で、みゑ子を東京の家へ連れてきた。
 姉は、みゑ子が私の家内になつくまで、東京にいて、京都へ帰って行った。帰るとき私が東京駅まで送ってゆくと姉は横を向いて、そっと涙を拭っていた。
 春が俄に私の家庭を訪れたのである。だしぬけに母となった家内は人工哺乳に、洗濯に、縫物に、乳母車を押して散歩に、朝から暮れるまで眼がまわる程の忙しさ
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