それはねえ、わたしが見つけた兄の嫁さんですもの、太鼓判おして保証しますわと義兄に言ってやりました。と、笑うのである。私の妻は妹とあるミッションスクールの同級生であったのであるが、卒業後、妹の勧めで私はそれを嫁に迎えることにしたのである。
 以上の経過で、話はとんとんと進み、間もなく京都の義兄が上京して、私のところへ二、三泊した。明け暮れ、私の妻を縦からも横からも観察したのであろう。京都へ帰るほどもなく故郷の老父の方へ、あの嫁さんならば子供を贈るに異存はない。腹の子供が男の子であろうと女の子であろうと無条件で佐藤家へ差しあげる。とはっきりした返事を言いよこしたのである。
 妹は、この報告を齎《もたら》して直ぐ上京した。私は、妻と妹を前にして祝杯を過ごしたのである。
 わが家の世嗣ができたということ、また親に安心させることができたという喜びは勿論であったが、それよりもそれから後は、産まれる子供が男の子であるか、女の子であるかという興味が私ら夫妻の生活の中心となった。

     二

 翌年の一月末に京都から電報がきた。女の子が産まれたと知らせてきたのである。家内は赤飯を蒸した。それから直
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